[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0251 泡立つ心臓たち

 

 何事も真面目に考えて、取り組んで、結果に一喜一憂して、そんなことをずっと続けてると鬱になってしまうよ。もっと柔軟に考えてみて、ってよく言われるけれど、お医者さんですらそのように言うけれど、どうすれば柔らかくなるのかがわからない。火で炙ればいいのかとか、視点をグルっと変えてみるとか、いっそのことお酒を飲んで脳味噌をスポンジのようにしてしまえばいいとか、そこには青一面の景色が広がるぐらいに、柔軟に考えることについて深く考えている自分がいる。

 

 思考の癖とも捉えられるし、最早生まれ持った性質とも言える。心身ともに成長する段階で歪んだ心、あえて自分自身で起こした歪み、嘆けば嘆くほどに程度が大きくなっていく。それは誰のせいでもなくて、仕方がなかったことなんだ。歪んだ頭もあなたの一部分、醜い心もわたしの一部分なのだから。ありのままを受け容れて、痛みを知り、自分の弱さを愛してあげることが一番だと思う。大丈夫、大丈夫だよ、って、わたしは私を肯定する。あなたのことも、好きな人も、苦手な人も、全部全部。

 

花を見て綺麗だと感じるのは、その花が美しいのではなく、そう思えるあなたの心が美しいのです。

 

 世界が色褪せてセピアな景色が目に刺さる時には、きっと少し疲れている時。ゆっくり休もうにもその休み方がわからなくて、眠ろうにも上手く眠ることが出来なくて良くない汗ばかりが全身を伝う。他人の笑い声が鼓膜の中で滑稽に響く、鼻腔を侵すあらゆる臭いが精神をすり減らし、恍惚とした日光や照明が眼球を焼く。ただベッドに寝転んでいるだけでは不安ばかりが込み上げてきて、ぽっかりと空いた時間を埋める為に、迫る恐怖から逃れる為に、今日もアルコールに惨敗する。

 

 誰かが側にいてくれること、ご飯が食べられること、安全な住居があること。有難い限りの状況を軽く上回ってくる不安定な精神の揺らぎは、まるで吹けば消えてしまうロウソクの灯りだ。早く消えてしまいたい、早くいなくなりたい! 叫ぶ心の声を微笑みながら眺めるわたしは、以前よりは少し生きやすくなったのかもしれない。明日以降も今日が続くと思うから、またそのことについて深く考えてしまうから、苦しくなる。最早明日などないかのように振舞う、未来など存在しないかのように生きる。全ての終わりは唐突に訪れるかもしれないし、自分自身で終わらすことも出来る。そう考えれば、私の中にある何もかもが無意味だ。そう、無意味の上をただひたすらに歩いている。悩むことも、嬉しいと思うことも、泣くことも、怒ることも、私にとっては意味を成さない。それならば、悲しい無意味よりも、楽しい無意味を味わいたいと願う。悲しみの渦中でさえも、花を眺めながら笑みを浮かべたい。そう考えること、無意味に意味付けしようとすることさえも、また無意味なのだけれど。それでも私は、そういった無意味たちのことを、愛していきたいと考えています。

 

 

 すべての現在に幸あれ、