[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0407 唯我独尊として

 

「私が40年生きてきて思うのは、何よりも自分が一番だということです」

 

「どんな場合でも他人は二の次です。常に自分が一番です」

 

 

 韓国に住む友人がこちらへ遊びに来ていたので、わたしを含めた計5人で食事をした。病み上がりでお酒が飲めなかったわたし、元々お酒を飲まない友人、素面で色んな話しをしていた。「いまはどんなドラマを見ているの?」から「ちいかわって知ってる?」まで、ジャンル問わずたくさんのお話をした。全然素面でも楽しいものだ、お酒なんてものは補助ツールの一つに過ぎない(妄言)。会話の波が心地良く、韓国の友人は常にジョークを言い放ち笑っている。こちらとしては全く意味のわからない冗談もあるけれど、邪気のないその笑顔を見ていると何だかこちらまで笑えてくる。そんな中、「いつもめっちゃ楽しそうやんなぁ。悩みとかなさそうに見えるわ」と一人が言った。それに対しての返答が上記引用文なのでした。

 

 いつも笑顔を欠かさない彼が、落ち着いた表情で静かに言った。その一瞬、空気感が変わるのをわたしは見逃さなかった、いや、見逃せなかった。彼の過去が垣間見えた気がして、漂う哀愁が妙に色っぽい。たくさんのことを経験してきた、だからこそ言い切れる言葉であって、開示こそしなかったもののきっとたくさん悩んできたのだろう。素敵だと思った、綺麗だなと思った。それを母国語ではなく、こちらに寄り添って日本語で説明してくれたことに優しさを感じた。彼のことがもっと大好きになった。

 

 その後はすぐにまた通常運転に戻り、元気で明るいユーモアが場を盛り上げる。こういう時、「人には人の地獄がある」という宇垣美里さんの言葉を思い出す。過去にも何度か書いていると思うけど、わたしはこの言葉が大好きなのだ。シンプルながらに物事の本質を突いている。今回は友人の地獄をほんの一部分だけ、ちょっぴり覗かせてもらった気がする。そのことがわたしは嬉しい。悩みが無い訳ないじゃないか、地獄を持たない人なんて存在しないのだから。その上で笑えるかどうか、現状にユーモアを見出せるかどうかなのである。わたしが友人に会いたいと思うのは、彼が明るいからでも面白いからでもない。時折垣間見える彼の地獄が、わたしはとても美しいと感じるからなのだ。そして、誰になにを言われても自分が一番だと言い切れるその強さ、その包容力に触れていたいからなのだ。

 

 

「また会おうね」