[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0408 午前3時に想うこと

 

 何時に寝ても午前3時に目が覚めるものだから、もういっそのこと起きてしまうことにした。これは早起きなんてものではない、朝活なんてものではもっとない。全然まだまだ夜の気配、夜に寝て夜に起きているんである。それでも覚醒する脳の流れに抗っていたから(二度寝)、これまで散々しんどくなっていたのかもしれない。身体が起きたがっているならそれに従うまででしょう。いいじゃないの、こうやって文章はたくさん書けるし、本もたくさん読めるのだから。たった数時間違うだけで、いつもと違うコーヒーの香り。これもまた気のせいかしら、幸せだと思う事も、その何もかもすべて。

 

 最早どうにもならないこと、自分にはどうにもできないことで悩むのはもう止めにした。それってきっと心と時間の無駄遣い、もっともっと大切なこと、日常にはたくさん散らばっていると思うから。自分の手でどうにかできることに向き合いながら、なんとなく日々を歩いていたい。精神世界では一人なのである。孤独なのである。そこに善悪の判別は必要なくて、孤独だという事実がそこにあるだけ。自分と向き合える人間は強い、向き合えない人間は弱い、ということでもない。ただあなたがあなたのままで、わたしがわたしのままで在れたなら、それが一番の幸福だった。人間は本質的に一人だからこそ、他の誰かを求めている。関わり合おうとする。やがて一つの輪が紡がれる。それならば、わたしは孤独でよかったと思える。満たされていなくて、本当に良かったと思う。他者の中に「本当の自分」を見出すことは大変愚かなことだけど、他者と関わるからこそ見えてくる「新たな自分」は間違いなく存在する。だからわたしは孤独が好きなのである。それは人を愛することに繋がる想いだから。大切なことなのです。ずっと考えていたいのです。

 

 頭に思い浮かんだことをそのままの形で書いてみたら、こんなことになっていました。明け方の脳なんてものはこんなものです。よくわからないでしょう。書き出してみて驚いた、当の本人ですら完全に理解することは難しい。それなら一体誰がわかるんだいこの文章は。浮ついた足取りでおはようございます。この時間帯は周囲に物音ひとつ発生せず、本当に孤独を感じられます。それが良さでもあり、寂しさでもある。寂しい気配が好きなのは夜に限って言えることで、外はまだまだこってりとした深い闇、まぁ夜であるといえばそうなるね。夜であることの定義ってなんだろう、何時から何時までが夜なんだろう。何時になると朝になるんだろうか。そんなことって、本当にどうでもいいことで、正にこれこそがどうにもならないことなのだけれど、これだけは気になる。一体、自分がいまどこを生きているのか知りたい気持ち。夜と朝を繋ぐ架け橋、誰からも忘れ去られた寂しい時間のなかを、静かに生きているように感じている。午前3時、あたまのなか。