[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0409 極めて現実的な「誰か」

 

 昨日、久しぶりに缶チューハイを飲んだ。なぜだろう、全くもって美味しくなかった。寧ろ不味い、こんなものを毎日のように飲んでいたなんて信じられない。最近は外で飲む機会が増えた。色んな人と食事をするようになった。お店で飲むお酒はとても美味しい、誰かと一緒に飲むお酒は本当に楽しい。

 

 昨日、久しぶりにマクドナルドを食べた。なぜだろう、なんだかものすごく味気なかった。不味くはない、けれど中身が空っぽなのである。これも誰かとワイワイ言いながら食べることができたなら、美味しい楽しいと思うことができたのだろう。

 

 昨日、久しぶりに一人カラオケにいった。なぜだろう、全然楽しくないんである。以前は頻繫に通っていた、それも酒を飲みながら、狂ったように素敵な歌たちを叫んでいた。そうすることが気持ち良かった。だけどいまは違う、誰かに歌を聞いてほしいと思うのだ。誰かの歌を聞いていたいと思うのだ。

 

 

 一人、一人、一人。以前の自分とは変わってしまったみたい、随分と寂しがりな本来のわたしがこんにちは。それはそれでいいじゃないのよ。現在の気持ちを尊重することが大切。いまは誰かと経験を共有したいのだ。ただそれだけ、ただそれだけのことだった。「誰か」とお話がしたいのだ。その為なら惜しみなくお金を使いたいと思っている。知っている人、知らない人、改めて辺りを見渡してみると、地球には色んな人が存在している。中には極悪人もいるけれど、そんな人にも善意の種子が宿っていたりする。スマホよりもゲームよりも映画よりも、現実はどこまでも残酷であった。面白いと思う、面白いと感じられる。だからいまは、少しでも外の世界に身を置いていたいんです。部屋に閉じこもっておる場合ではないのです。ただ純粋に、世界が楽しい。交友も、労働も、生活も、愛も、ありとあらゆるもの五感で味わいながら、知らないどこかへたどり着く。そんな人生も、悪くないとは思いませんか?