[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0410 まばたき、

 

 知人が経営されているカフェにコーヒーを飲みにいった。

 

 随分と久しぶりに訪れたその場所は、思っていたよりもさらに遠くて、降る小雨のなかをトボトボ歩き、到着した頃には謎の達成感があった。記憶というやつは当てにならないものなのだ。笑顔で出迎えてくれる皆さんが温かい、冷えた身体には猛烈にありがたかった。

 

 少し会っていないあいだに、大きく状況が変わっていた。それは良い意味合いで。今年に入ってからこれで何度目だろう、世界はもの凄い速さで動いていることを痛感する。マジで変わってないの、自分だけなんじゃなかろうか。ヤバいんじゃないのか。どうしよう、どうしよう。以前ならそんな風に焦燥感、でも最近のわたしは一味違った。「実はこうこうで、こういうことがあってさ~」なんて聞かされてびっくり仰天しながらも、その実は妙に落ち着いておるのだ。そのお話をこれから聞かせてもらえるのが純粋に楽しみである。ブレンドコーヒーのおかわりをお願いした。

 

 もう本当に現代、様々な生き方があり、インターネットの発達により無限大の可能性、なんでもやったもん勝ちなんだよな。勿論、失敗することもある。というか、行動する人はたくさん失敗している。相応のリスクも生じてくる。それでも、最悪のパターンを想定した上で淡々と動くこと、動き続けることが大事なのだった。

 

 今さらそんなこと言われなくてもわかってますよね。でもね、改めて心が痛むのです。仕事上の悩みもなく、交友関係での悩みもない。トラブルなんて全然発生しなくて、生きていることに対してのみ愚直に悩みつづけた。そりゃあ苦しいよ、どうせ今日も生きてるんだもの。何度首を吊るイメージを頭のなかで反芻させても、結局わたしは臆病者、生きてる。それなら楽しい方がいいじゃない、もっとお気楽で道化な生き方がしたいじゃない、そう思い立ち、最近は色んな人に会いにいっています。そして、会えばなにかしら現状が変わります。相手の顔を見ながらお話をすることによって、自分の感性が磨かれる。その度に思いだす、わたしは人が好きだったことを。誰かに裏切られたと感じることも、ぞんざいに扱われることも、人と関わるなかで避けては通れないことだと思う。それもまたご愛敬、人間の純な一面に遭遇できたのだから、それは失敗ではなく成功なのです。ずっとずっと成功し続けている。動くことを止めない限りは。

 

 美味しいご飯をいただき、コーヒーをいただき、ジュースをいただき、気が付けば閉店時間まで話し込んでいた。他にも家族で来店されたお客さんがたくさんいらっしゃって、なんだか日曜日の団欒を垣間見た気がした。カウンターに座るのはわたし一人、なんだかそのことが嬉しかった。雨はいつのまにか止んでいて、外はほんのり薄暗い。遠い場所まで来た気がしていたのに、帰路はあっという間にわたしを連れ去り、気づけばただいまおやすみなさい。とにかく色んな人に会った一日だった。感性がずっと小躍りをしている。そんな愉快な眠りへの入り口、隣に誰もいないことだけが寂しさ。孤独が頬を赤く染めている。