[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0391 喫茶店

 

 十代の頃、高校に入学した青年は喫茶店でアルバイトをはじめた。最初は年齢を理由に面接で落とされたのだけど、後日お店に通って粘り勝ち。試用期間からの本採用、正規ルートで合格した数か月先輩は気が付けばいなくなってた。当時のわたしは本当の本当に世間知らず、そんな青年に人間としての礼儀を叩き込んでくれたのは、この喫茶店のオーナーだった。良い意味で古風な、すこし厳しすぎるんじゃないのと思う部分もあったけれど、いま思えばそのぐらい厳しくしていただいて良かった。結局、若気の至りからお店を飛んでしまい、働いた期間としては二年にも満たない程度だったけど、わたしにとってはかけがえのない経験になった。

 

「喫茶店」というとお洒落な感じがして、当時のわたしもその洒落っ気を求めてアルバイトを志願した。働いてみるとなんのその、もうめちゃくちゃに忙しくて優雅の二文字が全く見えない。どうやら地元で有名らしい人気店だったのだ。いまでもよくテレビ取材がきているみたい。初っ端からえらいところを選んでしまった...... でも、それが後々の人生で功を奏することになる。あの時喫茶店で働いてなければ、礼儀も知らない、仕事への取組みもロクでもない、ただ使えないポンコツが社会進出することになっていただろう。

 

 コーヒーの味を覚えたのもこのお店がきっかけ。そりゃあ喫茶店、出勤すればコーヒーが無限にある、まかないと一緒にいただける。フレッシュとかミルクとか砂糖を入れるのが面倒くさくて、最初からブラックコーヒーを好んでいた憶えがある。当初は味とかあんまりわからなかったけど、年月を経て現在、お店に行って飲ませてもらうとめっちゃ美味しいんである。年齢を重ねたからこそ、そこにある美味しさを感知できるようになったのかもしれない。これはアルコールにも似た部分がありますよね。こういった小さな気付きを今後も積み重ねることが出来るのなら、年月の移り変わりに怯えることはないのかもしれないね。

 

 店をやめてから数年経ったある日、若気の至りをずっと後悔していたわたしは、オーナーの誕生日に好きだったお菓子をコッソリ贈った。数枚の作文用紙に謝罪の意を込めて、添えた。当日中に携帯電話が鳴った。「またコーヒーのみにおいで」とメール本文が光っている。会いに行った、謝罪した、怒られた、微笑んでくれた、許してくれた。そこから人手が足りないときにお店を手伝うようになり、現在に至る。もう手伝うことはほとんどなくなってしまったけれど、それでもたまにはお店にコーヒーを飲みにいったりしている。

 

 先日、オーナーが誕生日だった。初めて贈ったのと同じお菓子を毎年渡すことにしている。今年も例外なく、出社前にお店へと立ち寄った。しかし、あまりにも早く到着してしまい、大きなシャッターは閉まっていた。換気口から光が漏れ出ていたので、中に誰かしらいることがわかる。こっそり裏口から店内へ侵入、「おめでとう!」とサプライズおはようございます。毎年そうなんだけど、オーナーはお菓子なんかよりも自分が会いに来たことに対して喜んでくれているように見える。「コーヒー飲んでいきなさい」と優しい提案。誕生日祝いで来たのに世話になる訳にはいかねぇよ、といつもはそのまま出社しているんだけど、今回は時間が早かったこともあり、そして開店前であり、何となく心がコーヒーを欲しがっていたので、「いだたいていきます」とカウンター席に腰かけた。

 

 このオーナーが本当にもう「母性」そのものであるかのよう人で、コーヒーだけでは済まないのがいつものパターン。喫茶店らしいトーストとか、フルーツとか、和菓子とか、朝から色んなもの食べさせていただいた。「たまにでいいから、朝こうやって店に寄りなさい。そしたら、その日はちゃんとしたもの朝から食べれるやろ?」なんて言って下さる。どうして温もりがあることに気づかなかったのか、悲観的で、死ぬことばかり考えていて、視野が狭くなってなんにも見えなくなっていた。優しい言葉をかけてくれる人がいて、そして、かけてもらえる自分でよかったと思う。

 

 そこからは「春先は特にそうなりやすいからなぁ」「人は歩かなあかんで、わたしも歩いてる」などなど、わたしの落ち込みに対する意見を聞いていた。オーナーからの連絡をずっと返していなくて、頭がバグってたごめんと返信したのがつい先日。心配してくれているのかしらね、「もう大丈夫」とは全然言えないけれどそれでもね。周りはどんどん変わっていく、これからのわたしも変わっていく、変化と変化が合わされば掛け違い、景色は次々と移り変わる。そんな中、同じ場所に、同じお店が、ずっと変わらずそこにあること。そこにある温もりがずっと変わらないこと。それだけで、なんとなくこれからも大丈夫な気がするんだ。このタイミングでお店に足を運んだこと、コーヒーをいただいたこと、温もりに触れたこと。これはわたしにとって、必然であったのだ。オーナーに宛てた手紙では、「愛」という言葉が筆を動かしている。それはたくさんの愛情を受け取っているからで、自分のなかで熟成されたその「愛」が自然と溢れ出ているんだろうね。

 

 わたしは過去を取り戻す、未来を掴み取りにいく。その中でふと思い出すのは温かいコーヒーの香り、トーストの香り、煙草の香り、それらを包み込む優しさと温もり。いつもありがとう、お元気でね。