[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0392 春の予感

 

 のんびり時間をかけて帰り道を歩いていた。夜が安心を誘い込む、うなずき微笑み慈しむ。寒さを感じながら一人であることを実感する。そんな生活も悪くはない、歩いている間だけはすべてなにもかも忘れられる。「○○でなければばならない」という考えが頭のなかを小突くものだから、安心を得るために夜のなかを歩いている。

 

 身体を動かすことで心に留まった毒が排出されるなら、その毒は一体どこに消えてしまうんだろうか。空気中に分散されて気化、その過程で他のだれかが吸い込まなければいいのだれど。こんな苦しみ、他のだれかに味わってほしくはないのよ。みんな笑って過ごせれば、なんて理想論はとっくの昔に信じられなくて、それでも、わたしが知っている人たちには、大切な心臓たちには、笑っていてほしいと願ってしまう。そのためにわたしが出来ることって何なんだろう。ただのお節介焼きなんだろうね、それでも、自分だけの為に人生の道を歩むには、それはあまりにも長くて遠くて険しくて、儚い。

 

 あなたがあなたでいてくれれば、ただそれだけで良かった。つかの間の呼吸をあじわいたかった。今日も生きてますか? いまのあなたは笑えていますか? 生きることは簡単ではないけれど、思い悩むほど難しいものでもないんじゃないの。人には人の苦悩がある、他人には他人の苦痛がある。目に見えない「それら」を丸ごと愛して、たった一人の人間として認めてあげて。『わたし』を中心に世界が回っている訳でないけれど、物語の主人公は間違いなく「わたし」なんだよ。そう考えると、ワガママは我儘ではなくなる、あらゆる欲求はただ純粋な願いになる。生きたいと願うことも、死にたいと嘆くことも、どちらも本質は同じだった。愛されたいと祈ることも、愛したいと思えることも、根底にある想いは同じだったんだ。だから、もう泣かなくて大丈夫。「わたし」はいつだって側で見守っているから、この先もずっとずっと愛してあげて。それでもどうしようもなくなった時には、夜のなかを歩いてみてほしい。ゆっくりと一歩ずつ、散る星屑を見上げながら。

 

 

「君はどうしようもなく生きたがっているように見えるよ」