[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0328 かけがえのない孤独たち

「初めの一歩を踏み出します。次の一歩も。決してあまり先を見たり、あるいはずっと後ろまで振り返って見てもいけません。生きるということは突き詰めれば食べて寝て、そして自分なりに何とか時間を潰すことでしかないのです。私たちが真に求めるべきことは、自分自身になることなのです。」

 

 シンプルに生きる / ドミニック・ローホー

 

 ひとりであること、それは自分と向き合うこと。誰かと良い関係性を築きたければ、誰よりも自分のことを知っていないといけない。その為に、人生のなかでひとりになる時間が必要になる。最上の孤独、醜い部分を直視することで苦しくなる瞬間があるけれど、それでも、「私」として生きるために、この瞬間を乗り越えなければならないのだ。

 

 必要のない不安とか、欠けたままの愛情とか、色々なものが頭のなかに浮かんでくる。ずっと優しさに触れつづけていると、その輪郭が曖昧になってきて、感受性が鈍くなる。それは世界に対しての解像度がとても低くなっている状態で、あらゆる側面から感謝が抜け落ちる。だから、時々ひとりになって、優しさが持つ本来の色を、深い部分まで思い出してください。美しい自分、醜い自分、ちょっぴりお茶目な自分、すべての自分と向き合って、ひとつの形を取り戻していくことでやっと、だれかに愛情を分け与えることができるんだと思う。

 

 いくら嘆いたところで、現状はなに一つとして変わらない。それならば、もう世界に抗うことは止めましょう。自分のあたまで考えてどうにもならないことは、それは最早管轄外なのでそれ以上深くは考えないこと。生活に集中すること、本を読むこと、困っている人がいれば、可能な範囲で優しさを配ること。脳科学の研究によると、自分よりも他のだれかに優しくした方が、幸福感は高まるらしい。このことを踏まえれば、だれかに優しくすることは、同時に自分に優しくすることでもあって、それは優しい「私」を形作ることでもある。そんな感じで世界は回ってる。だれかに優しくされたり、だれかに優しくしたりしながら、わたしたちは自分の中を歩いている。

 

 気が付けばこんなにも遠くにきてしまった、と感じることがある。「あの頃」という人間はどこにも存在していないような、コンピューターでいえばOSそのものが入れ替わってしまったような、そんな感覚が、自分にはある。自他共に、そしてこの世界でさえも、すべてが変わってしまった。それは必然で、諸行無常で、だからこそこの惑星は丸い形をしていて、ちょっとした重力のおかげでわたし達は現存している。一年後にはまた違うわたしがいて、あなたがいる。すれ違っていく中で薄れるばかりの重力が、もう少しで宙に浮かび上がりそうだ。さようなら、世界。未来ではどうなっているかわからないけど、この文章を書いているわたしは、きっとどこかに消えているよ。それでもきっと、覚えているから。楽しかったこと、悲しかったこと、過去のこと全部全部覚えてる。「私」を組み上げるなかで未来に吸い込まれていく「現在」のこと、ちょっとだけ誇らしく思ってるんだ。