[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0411 酒瓶を割る

 

 予定がない一日。なにをするにも億劫で、そんな日が、そんな自分が、苦手で手が伸びるアルコールに。小さな部屋でうなだれる一人は、誰がどうみても退廃的。別にいいんだけど、そのまま灯が消えるのもこれまた人生なのだけど、本当にそれでいいのかお前さんよ。

 

 家で飲むお酒が美味しく感じなくなったのは、一人の空間で味わう酩酊が不快に思うようになったのは、ほんと最近のことで、もういらないと思えている。いただく時は、美味しいお酒を少しだけ。そして誰かと一緒にお話ししながら。そんな感じがいいのです。変わろうと決めた日から、人は変われる。お酒をやめようと思った数だけ失敗が重なっていったけれど、特に意識せずとも自然の流れ、その時はやってくるもんですね。

 

 お酒を飲む回数自体は減ったけれど、飲みに行く機会は増えた。人と会うようになった。そのことが嬉しい。一人ポツンと家で飲めば安上がりかもしれないけど、その安さと孤独に心を蝕まれてしまうような、そんな軋むような音が聞こえてきます。悲しいね、人生。そう思い込んでいたのは自分自身で、悲しみの根源もわたしなのだよ。

 

 愉快だね、そんな感情を増やしていきたい。意味のないこと、意味のわからないことに取り組んでいたい。思うに、少しマジメ過ぎたのだと思います。みんな頑張りすぎているように感じます。未来は不確実で心配すること、不安になることがたくさんあるとは思うけれど、とりあえず一旦脇に置きまして、一緒に踊ってはみませんか?

 

 生きることに疲れを感じるぐらいなら、馬鹿みたいに楽しんで、踊り疲れることもできるんじゃないか。ただ漠然と感じる疲れは苦しいけれど、身体を動かした後に感じる疲れには一種の爽快感が含まれている。曇り空、机に向かっている場合じゃないのです。ちょっと外に出てみれば、当たり前のように世界は広がっていて、その中に自分がいるということ、どこにでもいける自由を手にしていること、その大きな心を使って感じてみて。踊れ踊れや死ぬまで踊れ、その先で出会った仲間たちと楽しくお酒が飲めたなら、それが望む形で愉快な宴。