[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0373 無理しないでね

 

 これまでの生活習慣を改めて、変わってやるぞと決心すること。それはとても素晴らしいことなのだけど、急にガラッと変えてしまうと心身共に追いつかないことがある。はい、わたしのことですね。運動、運動、身体を動かすことが正義と言わんばかりにこの一週間で強度と頻度を最大値まで爆上げ。その結果、ヘトヘトのすっからかん、疲れてなんにもできやしない。夜ご飯をたべて数ページ本を読んだだけで夢の世界、本当に自分がしたいことってなんだっけ。寝て起きても睡眠が足りない、まだまだもっと眠りたいと脳が叫ぶ。そんなあたまで今日も一日よろしくお願いいたします。こんなことずっと繰り返す人生なんて、嫌だ嫌なのだ感性が消えてしまうみたいで恐ろしい。

 

 ちょっとずつ取り入れていく、ほんの少しずつ増やしていけばいいのにね。「これだ」と思ったら周りがみえなくなって視野が地平線のその先に飛んでいってしまう。結果、見事オーバーヒートで動かれへんです。「酒」となればそれは溺れるまでアルコールと戯れ、「マクドナルド」となれば連日連日同じメニューをテイクアウトし、「運動」となればやりたいことそっちのけで無我夢中になる。ふと我に返ったとき、執着がすごいな......となる。なにかに没入しているその姿は執着そのものなんである。わたしはその時々において、ある対象物に膨大な執着を向けながら生きているのかもしれない。かもじゃないか、きっとそうなのだ。これも一種の強迫観念だよなぁ、と思う部分もありまして、この特性を自分がやりたいことに費やすことができれば、もしかしてもしかすると、自分の世界をひっくり返せるんじゃないか。そんな淡い希望は、次なる執着によってかき消されるんだけれども。

 

 いまのところ対象が「人」に向いていないことが唯一の救いである。自分のなかにあるこの感覚が、誰かに向いたときのことを考えると本当に恐ろしくなる。間違いなく相手様には迷惑をかける、自分自身も壊れてしまう。それこそ本当に生活そのものが手付かずになる可能性だってある。元々、なにかにつけて依存体質なのだ。音楽、書物、香り、衣服、アクセサリー、食べ物、飲み物、各分野に最高の恋人がいて、毎日同じ人ばかりを愛し続けている。物を大切に扱って偉いね、ということではない。これも一つの執着で、それが無くなったときのこと、失ったときのことを考えると、怖いのだ。だから、わたしは限定品が苦手。一度壊れてしまえば、買い直すことができないから。毎日愛してきたものが、永遠に手に入らなくなるから。そういった意味合いで、わたしは誰かのことを恋愛対象として見ることが難しくなったのかもしれない。人間というのは、個人個人が限定的で、駄目になったから買い替えようとかそういうのはできない。基本的に一度失ってしまえばそこで終了、同じ性質(性格、感性、愛情)が保証されることはあり得ない。だからこそ人との関わり合いというの素晴らしくて、だからこそ人間は魅力的なんである。わかってる、そういうこと全部あたまでは理解している。けれど、どうしても怖いのだ、失ってしまうことそれ自体が。

 

 そうやって他人と一線を引き続けることによって、執着が生まれずスヤスヤ穏やかに眠っておる。本当にこれでよかったのかな、このままでいいのかな、なんて思うこと多々あるけど、これが現在のわたしなのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだから、いまはこれが精いっぱいなのだ。執着、なんとかならないもんですかね? こだわり、もう少しだけ緩やかになってはくれないでしょうかね? いつかは誰かのこと真正面から愛したいと思うのだけれど、そのいつかは一体いつ訪れるんだろう。そんなことあなたにとってはどうでもいいことで、でも、そんなどうでもいいと思ってるあなたのこと、陰ながらに愛しているんだよ。面と向かって言ってしまうと、執着が鳴くかもしれないから、今日はこの辺でやめておくね。