[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0235 右手薬指

 

 常日頃、右手薬指に指輪をはめている。確か二年前の冬、偶然の出会いに一目惚れした。それまでずっとずっと指輪が欲しいと思い続けていて、右手薬指にいてほしいと思っていて、でも欲しいと思える指輪が見つからなくて。妥協するぐらいなら買わない方がマシだと思って、指輪をつけないで生きてきた。そんな中見つけた輝かしい銀色が心を躍らせた。俗的な言い方を用いると「運命を感じた」ということになる。

 

 私の指は細く、その割に第二関節が骨ばっていて太いものだからサイジングが難しい。あらゆる装飾店で店員さんから指の造形を突っ込まれた。そんな訳で購入の際も慎重にサイズを選んだつもりでいたけれど、つけて数時間後にはスカスカになっていた。多分、前日の飲酒が影響して指が浮腫んでいたのかもしれない。帰り道にルンルン気分で手を振り歩いていたら、指輪がすり抜けて地面に落下した。泣いた、購入して数時間後に負った大傷。もうこいつはたくさん傷つけてやろうと、風が冷たい夜道の上で静かに誓った。

 

 後日、専門店でサイズ直しをした。わがままな自分の右手薬指と寄り添うように、祈りにも似た感情で引き渡し日を待った。”職人”という生き様は素晴らしいものだ、一回り小さくなって生まれ変わった我が子の姿を見て、指で感じて、その仕上がりにとても感動した。骨ばった第二関節を軸にサイズ調整をしたから、指にはめた時には指輪が少し動く程度の余裕がある。わたしの指の造形では、これは仕方がないことらしい。自分仕様に生まれ変わった銀色、産まれ備わった歪な手指、そんな部分も含めてますます指輪が好きになった。

 

 決して高価な物ではないけれど、手間をかけた分自分の中ではかなりの愛着が湧いていて、身につけていないことが違和感になるほどだった。一度気に入った物は毎日身につけていたいと思う。ピアスも指輪も洋服も香水も、かれこれずっと同じ物を身に纏っている。愛が偏り過ぎているなーと自分でも思う、それも物凄く重い。最早愛しすぎて、愛を忘れるというか、気が付いた時には自分の側にあることが当たり前になっていて、この感覚を対人間に向けてしまったら大変なことになるな、なんて野暮なことを思いながら、指輪も当たり前の存在として自分の中に溶け込んでいた。

 

 つい先日、その指輪が姿を消した。出先で外した覚えはなく、なのに自分の指にもついていない。いつもの置き場所にもない、家中を隈なく探しても見つからない。見る見るうちに顔面から生気が抜けてゆき、間違いなくあの時のわたしは”絶望”であった。終わった、マジで終わってしまった。新しく買えばいいじゃんとかそういう問題ではなく、指輪を失くした自分、もう戻らない自分仕様の銀色に対しての執着が脳の中で渦を巻いていた。それと同時に、自分はこんなにもあの指輪を愛していたんだということを改めて思い知らされた。『失って初めて、その大切さを知る』なんて使い古された常套句が何度も脳にジャブをかます。

 

 どの指に輪をはめるかで意味合いが異なるらしく、右手薬指は何だろうと調べてみたら”精神の安定”と記載されていた。どうして右手薬指にこだわり続けていたのか、自分でもわからないでいたけれど、含まれた意味を見て思わず笑ってしまった。「こんなもんで精神落ち着いたら苦労せんやろ」なんて軽く受け流していたけれど、無くなったその瞬間から凄まじい勢いで不安定へと落下した。不安定を得る為の安定、こんなの皮肉じゃないか。前日に酒を飲み過ぎたのが悪かった、久し振りに何もかもを後悔した。

 

 

 結局のところ、指輪は見つかった。もうあかんと全てを諦めたその時、グチャグチャになった部屋の中でふと目に入った小銭入れ。その中で100円硬貨と共に指輪は埋もれていた。絶叫、見つけたその瞬間に大絶叫した。よかった、生きててよかった。指輪が生きていてくれて本当によかった。愛がとめどなく溢れ出す。右手薬指につけてあげると、荒波が引くように気持ちが落ち着いた。恐らく、100円硬貨と見誤って小銭入れに投げ込んだのだろう。これだから酔っ払いは信用出来ないなと思う。とにかく見つかってよかった、身体の一部が失われなくて本当に良かった。

 

 注いだ分の愛の重みを知りたければ、一度失ってみるのもありかもしれない。もし、再び手にすることが出来なければ、それは単なる地獄に過ぎないのだけれど。今回は上手く地獄を回避できて助かった。愛した物の大切さを忘れないように、これからも右手薬指に傷を刻みたいと思っています。

 

 

 大切なものを”大切”と認識し続けることの難しさ。