[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.007 幸福論に吹きかける煙

 

 あなたは現在、幸せでしょうか?

 

 幸福を定義付けすることはとても難しい。同じ状況や同じ環境でも、一方は充分に幸せを享受しているが、もう一方は不幸だと嘆いている。各々の価値観や入れ物=器によって、色も形も香りさえも変わってしまう。様々な形をした各々の幸せ。あなたの幸せは、どんな形をしているのでしょうか?

 

 数年前に「幸福論/著:アラン」を読んだことを思い出したが、そこに何が書かれていたかなんて一文も思い出すことが出来ない。それ程までに、そこに記された内容は自分にとって重要で無かった、必要とはしなかった。本当に必要なことであれば、人は記憶として自身に定着させるはずだ。一般的な幸福論、個が有する幸福、そこにどれほどの差異があれど、抱いた幸福を否定することは出来ない。自分自身の中だけで完結するもの、幸せって、そういうものではないのでしょうか?

 

 突然現れる幸もあるが、一定期間そこに存在し続ける幸もある。大多数の人がその存在に気がついていないだけ、感じようとしないだけ、その事実を失念しているだけ。そういった一定数の幸福は、意識を張り巡らさなければ感じることが出来ない。ショートケーキを食べた時、風呂上がりの喉に流し込むビール、毎週楽しみにしている今期ドラマの鑑賞、そういった幸せも最高だけれど、どこか刹那的な香りがする。もっと恒常的で密やかな幸せ、それは人と人との繋がり、即ち愛だ。特定の誰かと、大切にしたい誰かと繋がっている感覚は、間違いなく幸福と表現できる。そして、この類の幸福感には持続性がある。大切な人さえ傍にいてくれれば、私は頑張ることが出来る。それほどまでに、人間はシンプルな構造をしている。そんな構造さえも、少し愛おしく感じてきませんか?


 あらあら、なんだか宗教くさくなってきましたね。定義付けをすることが不可能な幸福について長々と論じても何も意味を成さないので、今日はこの辺りで手短に切り上げたいと思います。マッカランでも飲みながら、各々の幸福論について話を繰り広げたいものです。それまでは、胸の内でコッソリと幸福を育んでいきたいと思います。

 

 あなたの幸福にもよろしくお伝えいただけますと、幸いです。