[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.018 デジタルポルノみたいな表情だと思った

 

 ごきげんよう、いかがお過ごしでしょうか。

 

 何故か他人から「忙しそうだから」と言われることが多い。寧ろ世間から見ると暇人に分類されてしまう人間だと、自分ではそう思っています。流れゆく日々に対して退屈を感じている(これは以前にもお話ししましたね)。そういうことなので「全く忙しくない、毎日お酒と文学に浸っているだけ」と伝えたところ、「半分太宰やん」というお言葉を頂戴しました。半分というと、残り半分は文才と情死でしょうか。文才に関しては次元を歪めたとしても埋めることが出来ないし、情死相手のみならず恋仲になりそうなお相手すら見当たりはしません。まぁそれはさておき、わたしは太宰治が好きなので、まんざらでもない気持ちにはなりました。余計な装飾を取っ払って言えば「嬉しい」この一言に限ります。「君が書く文章は私小説っぽいよね」と学生時代の先生から言われたことがあり、それにも少なからず太宰の影響があるように思います。

 

 そんな太宰が生きた時代と私たちが生きる現代では、社会制度の変化、価値観の多様化など当時と比べると様々な変化が起きましたが、最も顕著な変化といえば”インターネットの普及/発達”ではないでしょうか。1984年に日本で初めてインターネットが運用されました。1995年に"Windows 95"が日本で発売、そこから時を経て2021年現在では様々な用途でインターネットが使用されていますね。太宰が生きた時代には存在すらしなかったインターネットが、現代を生きる私たちの生活に欠かせないものとなっている。そう考えるとなんだか少し誇らしいような、同時にちょっぴり情けないような気持ちになります。2008年のiPhone発売以降、インターネットの進化には目を見張るものがある(個人的にです)。そして、ここ数年での市場規模の急成長には驚きを隠せません。デスクトップ型からノート型となり、スマートフォンタブレットの登場により、インターネットが生活に広く深く浸透した。今や様々な方法でインターネットを利用することが可能となり、より世の中が便利になった。しかし、このインターネットに関して、私は諸刃の剣だと考えています。

 

 「人間の脳は近道が大好きである。」これは”スマホ脳/アンダース・ハンセン著”から引用した言葉です。こちらはスマートフォンを含むデジタル機器が脳に与える危険性を科学的観点から解説している本です(現代人ならばスラっと読めると思うので、興味がある方はご一読下さい)。私たちの脳は”近道=楽”を好む性質があるようで、例えばインターネットがそこまで普及していなかった一昔前は、必要な情報を紙に記して管理していました。文字を書くという行為そのものが、脳への記憶定着を促進する為、今より暗記力も高かったのではないでしょうか。しかし、現在ではスマートフォンが一台あれば数多の情報を管理することができるようになった。知りたい情報があればGoogleで検索すればいい。気になるあの子の電話番号を覚えることなんてしなくてもいい。そうすると、不必要になった分は脳内のワーキングメモリ=作業記憶に空きスペースが生まれる為、他情報の記憶にそのスペースを使用できるメリットがある。その反面、大量の情報を脳内へ流し込んでしまうと、脳がパンクしてしまい”長期記憶”への定着率が低くなる。その場限りの情報ならば必要になった時に再確認すればいいが、自身の血肉としたい重要な情報さえも留まること無く流れ出てしまう。肝心な時にその情報を脳から取り出すことが出来ない。そのため、長期記憶として脳に定着させたい情報に関しては、紙に書き出したり、声に出して音読することが効果的である。合わせて「エビングハウス忘却曲線」を参考に情報を復習すれば、ある程度記憶定着はコントロールできるのではないでしょうか。あくまで素人の持論ですけれども。

参考URL:忘却曲線 - Wikipedia

 

 

 叶うことならば、LINEでも、メールでも、電話でもない、対話でのコミュニケーションを育みたい。テクノロジーの発達によって世の中が便利になりました。利便性と引き換えに、かつて存在した温度が消滅しているような気がするのです。テクノロジーを通してのコミュニケーションはどこか味気なさを感じる。なんだかちょっぴり寂しいんです(具体的にどこが味気なく寂しいのか、説明する気力はもう残っていません)。顔を見合わせて話しがしたい。[対話]は五感を最大限に活用した、アナログ要素の原点だと思うのです。相手の容姿を視覚で捉え、相手の香りを鼻腔に取込み、相手の声音を鼓膜に響かせ、悦な会話を舌で転がす。肌へ触れた時に感じる体温が、双方の生を実感させる。心に空いた穴を埋めてくれること、正確に言えば、空いた穴との向き合い方を教えてくれること、それが私にとっての対話なのです。

 

このように媒体を通じて個人的思想を書き綴れることも、インターネットが、テクノロジーが発展したおかげです。良い世の中になりました。それでも私は、対話への希望を切り捨てることが出来ない。テクノロジーが発展したからこそ、より体温を大切にしていきたいと思っています。