[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.017 ピエロは今日も嗤う

もう一度会いたくなる人、それはまぎれもなく、話を聴くのが上手い人だと思う。聴くことによって、話させることによって、相手を手に入れてしまう人だ。

 

でも、そういう人の話は、いつ誰が聴いてあげるのだろう。

 

 「いつか別れる。でもそれは今日ではない / F 」

 


 

 世の中には、話を聞きたい人よりも、話をしたい人の方が多く存在している。皆さんはどちらでしょうか?わたしは相手の話を聞きたいと思う人間です。だから、現代を共に生きる大多数の人間との相性が良いことになる。生理的に苦手な人間以外なら大体誰とでも話しが出来るし、その話を続かせることができる。続かせるといっても、相手により多くを話してもらうだけなのですが。時折、物凄く膨大な自己主張、承認欲求を有した方とお話をする機会がある。自分、自分、自分、共有している空間を自分で埋め尽くす。自己色で塗りつぶさんばかりに、自身のお話しを繰り広げている。装填と発射の定型的動作を高速で繰り返す様は、まるで荒野のガンマン。まさにマシンガントークと呼ぶに相応しい。そういった方に対しては、よくそれだけ自分の話を繰り出すことが出来るものだと感心してしまいます。自分の話を過剰に相手へと投げかける行為は、幼児が母親の気を引こうと必死になっているみたいでなんだか可愛らしいですね。そういう人は、自分(わたし)が口を開かなくても継続的に会話を成立させてくれるし、しばらくすると勝手に自滅してくれたりするので、私は嫌いではありません。懐疑的な人間なんかよりもよほど付き合いやすい。そのようにわたしは感じています。

 

 誰かとお話しすることが好きです。親しい方は勿論のこと、初対面の方とのお話しも中々に楽しめる。こちらから知らない人に話しかけたりすることもありますが、それを目にした友人からはよく注意されています。知っている人にしか話しかけてはいけないなんて、生き辛い世の中ですね。その点、居酒屋やBARは良い。酔っ払い同士が共鳴します。隣りに居合わせた見ず知らずの方と大好きなお酒を飲みながら気楽にお話ができる環境が、最高です。それさえもコロナウイルスの影響でほとんど出来なくなってしまった訳で、本音を言ってしまえば、とても寂しい思いをしています。「家で一緒にお酒吞もう?」なんて連絡をすると、文体が急激に下心を醸し出すようで[送信]を押せないでいる。「ただ君と話しがしたいだけなんだ」なんて言うとさらに下心臭が増します。「絶対に何もしないから、ちょっとだけホテルで休憩しよう?」ぐらい胡散臭い定型文のようで。でも、何もしないでいいけどラブホテルに行きたい気分の時って無いですか?わたしはあります。ラブホテルという空間が好きなんですね。これについて話すと随分長くなりそうなので、機会があれば別記事にてお話しさせていただきます。

 

 「人誑し」という言葉を分解すると、”人を言葉で狂わす”となります。言葉を操り、相手を狂わせる。考えるだけで悍ましい存在ですね。わたしはこの言葉に縁があるようで、十年来の友人と「人誑し」についての話をよくしています(そしてわたしは、この手の会話をとても好ましく思っています)。そういえば、つい先日私も人誑しというお言葉を頂戴しました。「あなたは罪の意識を植え付けることがとても上手い、この人誑しが」との具合に。私の場合は完全に罵倒であり、揶揄ですね。いつかお褒めの言葉としてお受け取り出来るように、これからも言葉を学んでいく所存です。

 

 全く自分のことを話さないと怒られることがある。しかし、自分が話したいと思った時には話すように(聞いてもらうように)しているので、そのように感じる時は、特に自分のことを話したいと思っていないだけなのです。そして、わたしは自分自身の話しをすることに対して苦手意識を持っています。その時間があれば相手の話しを聞きたいと思う、冗談を言ってケタケタ笑っていたいと思う。わたしのことは私だけが理解していれば良い。自分の物語は、ある程度自身の中で完結することができる。それよりもあなたの物語を聞きたい、聞かせてほしいと思う。様々な知らない世界を体感させてくれる。それが、わたしにとっての会話というものです。

 

 

 

「あなたの物語を、聞かせて下さい」