[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0147 他愛もない

 

 自分の殻に閉じこもるのもいいけど、誰かに自分の思いを伝えないと上手く生きていけないなって思う。会話がしたい、ふと思い立ち家出する夜がある。自分をさらけ出すことに失敗して、絶望を抱えて夜道を彷徨う。

 

 綺麗事だけをキャンディーのように舐めている。汚い部分は排水口に吐き捨ててしまって。会話はそういうことも出来てしまうから面白い。自分の綺麗な部分だけを伝えるよりも、汚い部分を鮮明に伝える方が大事だと思うのは私だけなのでしょうか。綺麗な大部分を隠すことによって、飾らない”私”を演じようとしている。

 

 「初めまして、わたしは〇〇なタイプの人間です。」

 装飾品同士の擦れる音がひどく耳に障る。

 

 自分の悪質な部分で空欄を埋め尽くしたい。肩書きとか、職業とか、趣味とか、そんなものはどうだっていいし何も伝わらなくていい共有しなくていい。基本的に、あなたからは最低の悪友だと思われたいのです。そういうスタンスで自己開示を進めていく。私の前では気を遣わないでいてもらいたい。存分に罵詈雑言を交わせる関係性を築きたい。わたしは気が遣えないだけなのだけど。

 

 上品に構成される会話って、何だかとてもつまらない。もっと醜い部分を、世の中の、あなたの、汚い部分を求めてしまう。自分が醜いと思っている部分は、他人からすれば案外魅力的に映っているものです。私はただ魅力を感じたいだけの素直な獣。それなのに人は自分の”良さ”や関わる上でのメリットばかりを手渡そうとする。もうそんなありふれた構図にはうんざりしてしまう。あなたの良さよりも、あなたの悪さを聞かせておくれよ。

 

 

 「あぁ、相手の話しばかり聞いているな」と感じるほどのマシンガントークを相手が繰り広げている時、「何これ、私ばかり話してるじゃん」と相手も思っているのだろうか。人間は口から言葉を発せれば発するほど、喋れば喋るほど悪い部分が露呈する。だから、わたしは相手に多く喋ってもらうように意識している。そうすることで、相手の装飾品をより多く薙ぎ払うことが出来るから。

 

 というのは建前上のことで、本当は話すのが面倒なだけだったりする。多くの言葉を発することが億劫に感じるから、なるべく相手に話してもらった方が気持ちが楽になる。それで相手のことを深く知れるのだから、一石二鳥だなと思っている。

 

 あまり自分のことを話さないからこそ、意識的に悪い部分を抽出して言葉にしている。綺麗な部分よりも、醜い部分を話した方が相手方は笑ってくれる。それに被せるように相手の失敗談なんかを聞かせてもらえたりする。そういう瞬間が嬉しくて、その笑顔をもう一度見たくて、引き続き少しばかりの醜さを言葉に乗せる。

 

 それでも時折、もう少し自分のことを多く話したほうがいいのかな?と道に迷うことがある。そういう時は、試験的に自己開示の分量を多めにしてみるけど、大抵の場合失敗として幕を閉じる。人には人の分量がある、私にとっては「8:2」ぐらいが丁度良い。そもそも、ブログ上ではひたすらに自己開示を繰り返している訳だから、これ以上人様に自分の話しをする必要は無い。「全然自分のこと話さないよね」なんて言うものなら、このブログを閲覧してくれと物申したい。ありとあらゆる「私」の憎悪がパンパンに詰められているから。それこそが、眼球に映る世界のすべてだから。

 

 

 聴くよりも、読んでわたしを感じておくれ

 お話しする時は、あなたの悪徳を感じさせてほしい