「また会いたい」と思われる人ってどんな人だろう。
最近、書店でそのような本を手に取った気がする。
「そんなのは相性次第でしょ」と思い表紙を一瞥しただけで元あった場所に戻した気がする。何もかもが有耶無耶で、どうしてそのことについて書こうと思ったのか、自分自身でもわからない。コーヒーを淹れていたらただ何となく頭に浮かんだから、という理由として心許ない些細な思い付きを、ノリとバイブスで言葉に落とし込んでいきます。
初対面って、正直面倒くさいよなと思う部分がある。自分がどういう人間なのかを簡潔に説明して、相手がどんな人間なのかを経歴身なり仕草表情言葉選びなどから見極める。
「初めまして」「お仕事は何をされているんですか?」「そうなんですね」「すごい!」「いいな、羨ましい」「そんなことありませんよ(謙遜)」「いえいえ(謙遜)」「〇〇さんの方が~(謙遜)」「それ私も観ました!」「今度一緒に行きましょう」
言葉にしただけで胸が痛くなる。多分、こういう会話に”今度”は訪れない。定型文のお披露目会ですか?紅白対抗謙遜合戦ですか?それって楽しいのでしょうか?。楽しくないから、次に繋がらない。楽しくないことを繰り返すから、どんどん初対面の人が苦手になっていく。
じゃあ、どうすればいいんだろう。”楽しい”と感じるポイントは人によって大きく異なる。そうなると、やっぱりフィーリング?。相性の要素が大きくなるんじゃないだろうか。
まぁまぁ、そんなに焦らないで落ち着いて。勿論相性はとても重要な要素ではあるけれど、多くの人に当て嵌まる"楽しい"と感じる瞬間を予め心得ておけば「また会いたい」と思ってもらえる確率はグンと跳ね上がる。
わたしは一つだけ、多くの人に共通する"楽しさ"を感じる瞬間を知っている。
「それは、自分の関心事を話している時」
誰でも、一つや二つは心に秘めている思いがある。それは夢や希望、悩み、苦しみ、様々な形をしている。私にだってある、多分あなたにもあると思う。
でも、その思いを話す相手は誰でもいいわけじゃなくて、自分のことを深く理解してくれる人がいいと思っている。違うかな?
私の場合だと、本や文章のことを話せている時はとてもいい気持ちになるし、話しを聞いてくれる相手がいて、自分は幸せ者だなと感じる。頭の中が相手への好印象で埋め尽くされる。
そんな相手と改札で別れる時にはとても寂しくなる。そして心が呟く「また会いたいな」。
つまりのところ、初対面初めましてその場限りさようならで終わらない為には、相手の秘めた思いを見極めて、優しく突っついてあげればいい。
相手に焦点を当て続けること。
その上で相手の話しをよく聞くこと。
もうこれだけでいい、逆にこれだけしかないと思う。
誰でも最初から"心の扉全開!"、みたいにはならない。それでも、会話の中で相手の秘めたる思いが垣間見える瞬間がある。それはあまりにも一瞬で、見逃してしまう場合が多い。だからこそ心の焦点を相手に合わせ続ける必要がある。
自分の話しなんてしなくていい、必要に応じて自己開示する程度でちょうど良い。
"私はあなたのことが知りたい"、その思いを言葉で、表情で、声色で示そう。自分自身は"結局よくわからない人"のまま、別れよう。
「また会いたい」と互いに思っていれば、自然と再会する流れになるだろう。
こちらから連絡してリアクションが薄かったり既読スルーだった場合は、相性が良くなかっただけ。何も気にせず、自分を恥じず、堂々としていればいい。
ここまで書いてなんだけど、私は「また会いたい」なんて思われなくてもいいかな。そこを意識すると、自分の色が抜けきってしまう気がするから。
わたしは、誰かと会う時にはいつでも今回が最後だと思っていて、それが初対面だろうと十年来の友人だろうと何も変わらない。
気を抜いた時に、"最後"は突然やってくる。実際に、"最後"は何度でも私を襲ってきた。また会える、という思考そのものが傲慢だった。種々雑多な後悔だけがポツンとそこに佇んでいて、なんとも物哀しい。
わたしはあなたと向き合って話しがしたい、
最後になっても悲しまない為に。
何度でも「またね。」を言うよ、
未来に期待していたいから
また君に会えることを願っている
密やかな、わたしの想い
了