[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0582 独り暮らし

 

 街中で楽しそうな親と子供を見かけると、何だか胸の内側が騒がしくなるような、そんな瞬間がある。十年前に比べれば随分と頻度は減ったけれど、それでも未だに騒ぎ立てる。どうして、なんて問いかけることすら愚かなほどに。ずっと抱いているコンプレックスが、わたしの心臓を責め立てている。

 

 楽しそうでなにより、幸せそうでなによりなのだ。それなのに止まることを知らない羨望や嫉妬心、殊更に自分のことが嫌になる。個人的に、家族関係は運の要素がかなり強いと思っていて、いわゆる運ゲーというやつである。子は親を選べないし、親もまた子を選ぶことが出来ない。親子であっても驚くほど性格の相性が悪い、なんて話しは世の中に溢れている。そんな確率的要素が高いにもかかわらず、大変仲がよろしい家族もいる。隣の芝生は青く見えるとは言ったものだけど、どこからどの角度で眺めても素敵が過ぎる家族が存在している。食卓を囲める家族がいる、最近の出来事を話し合える家族がいる。そういった光景を見聞きするだけで息苦しい、そんなわたしがいる。

 

 そういう時は少しばかり心が沈んでいて、他人の幸せを祝福できない。誰が悪いでもなく、わたし自身に罪状が課せられる訳でもない。不安定な情緒がちょっぴり憎らしくもなるけれど、そうやってこれまでを生きてきた。そして、これからも同じようにして生きていくのだろう。コンプレックスを解消することばかり考えていたけれど、場合によってはコンプレックスが武器になることもあるらしい。痛みを知っているからこそ誰かに優しくなれるように、わたしはこの痛みを大切に抱いていたい。これまでに感じた痛みをなかったことにはしたくない。

 

 たまに、家族について友人と話す時がある。各々が違う毒に侵されて、違う痛みを知っている。比べる類のものではなくて、それぞれが感じたことを話している。自分だけではないことに安心する一面、想像もつかない体験だからこそ、安易に共感や理解を示すことはできない。これまでも、そしてきっとこれからも、わたしたちは苦しんでいくのだろう。それでもこうして二人が出会った。共に酒を酌み交わし、辛い過去を笑い話に変えている。この時わたしは、家族なんてちっぽけなもんだと思えている。温かい家庭なんて単なる夢物語だと思えている。そして何事もなかったかのように笑ってる。それでもやっぱり、ふと我に返った時、悲しくなってしまうのだけれど。