[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0326 すべてのまばゆい光たち

 

 十代で家を出たときから、お正月とやらが苦手だった。こういうことを書くのはもう三度目とかになるのだろうか。何度だって懲りずに同じことを書く。正月特有の世間が浮ついているこの感じが、本当に大嫌いなのだった。

 

 恐らくこれは家族コンプレックスから発生する感情。情けないとは自分でも思うのだけれど、どうしても苦手なものは仕方がないと諦めている。普段は家で過ごすことが好きなのに、正月に家でジッとしていると頭がおかしくなりそうで怖い。「年末年始はどのようにして過ごすの?」という恒例の質問に対しては、「最初から最後まで酒を飲む」と答えるしかなかった。酒を飲んで、なんとか時間をやり過ごすしかないのだ。

 

 外に出ても、どこにいっても、完成された人間関係を見せつけられているようで、ずっとずっと眼球が痛い。三が日は最も希死念慮が高まる時期でもある。大晦日はすでに心が死んでいる。なんとなく、ストロングゼロだけが友達のように思えた。

 

 それでもわたしが恵まれているのは、「飲みにおいで」「飲みにいきましょう」と言ってくれる優しい人が周りにいてくれること。年末年始、どうせみんな帰省しているんだろうな。家族でゆっくり過ごされるんだろうな。なんて思っていたのだけれど、勇気を出して連絡してみると、思いのほか快諾してくださるのだった。よかった、今日一日を生きられる。安堵する、ただひたすらに、安堵している。

 

 皆さんはどのようにしてお正月を過ごされますか? 家族、恋人、友人、自分自身、十人十色の過ごし方がある。自分がこれほどまでに苦痛を感じているお正月も、誰かにとっては楽しいひと時で、また誰かにとっては普段となにも変わらない日常の一部分だったりする。もちろん、働いている方もいらっしゃる。自分とは圧倒的に異なる価値観を知るのが楽しくて、生き方の勉強になる部分も大いにあって、「年末年始はどのようにして過ごすの?」なんて誰よりも多く問いかけているのは、他の誰でもないわたしなのだった。

 

 今年の目標とか、抱負とか、公の場で宣言させられることがあるかもしれないけど、そんなもん無くたって、安らかに生きていいんだよ。ただ生きているだけで、わたし達は素晴らしいのだから。今年の抱負みたいなものは、そのほとんどが達成に満たないまま沈んでいくから、無理して難しいこと決めなくていい。それよりも今日を生きて、苦しくてもその日一日だけを生きて、それでも無理だと思ったら、ずっとベッドで眠っていたい。まばゆい光たちを見ないように、わたしが一人で輝けるように。