[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0264 温かい吐き気

 

 暑いなぁと言っているうちに気が付けば8月は死にかけていて、時の流れの速さに驚くばかりだ。今年も残すところ三分の一程度になろうとしているけれど、現時点で少しだけ年末のことを想像してしまうわたしは、どこか知らない町へ生き急いでいるのでしょうか。

 

 最近思う事は、口約束が果たされる可能性は少ないということ。「また連絡するね」はもう連絡しない為の言い回し。「今度飲みに行きましょうよ」は口から零れ落ちた出任せ。そういうことを言われる度に、耳が言葉を拾う度に、心が微かな落ち込みを覚える。完全に期待を手放すことはできなくて、やっぱり私はどうしようもなく人間だった。

 しょうもないなぁと思う。その場を取り繕う為に細い糸のような言葉ばかりを口から吐きだし、笑顔の面を装着しながら何事もなかったかのように、良い人だったり良い関係性であるかのように演技する。そういうことがとても悲しくて、やり切れない気持ちになる。それだったら嫌悪感満載の表情で「死ね」とか「もう好きじゃない」とか「もう会わんわ」と言われた方が幾らかスッキリするのだけれど。

 

 そういった小さな悲しみが幾重にも層を成した時、わたしは自分自身を保つことが難しくなる。そういう時にはやっぱりアルコールを飲んでしまって、頼ってしまって、この一週間はずっとずっと酒ばかりを飲んでいました。本来の目的を放棄して、書く事もせず、なにも考えたくなくて、『生きること』に取り組みたくなかった。

 どうせ生きなければならないのなら、出来る限り軽やかでいたいと願うのに、その実はずっしりとした重力に心身が負けている。弱い自分をありのままに認識することも、現状を嘆くことも、その何もかもがアホらしく感じてしまって、今はただ思考を停止していたい限りだ。

 

 そんなことをしている内に、あっという間に年齢を重ねて、老いが迫ってきて、その時には周囲に誰も残っていなくて、今よりももっと頭の中が混雑していて、自分と向き合う気力もないまま、何の意味も無しに死を迎えるのだろう。

 

 久し振りの嘔吐は心地が良くて、暴力的な感受性が薄い膜で包み込まれたような、そんな気がした。もう誰からも必要とされなくていい、愛されなくてもいい。そう言い切ることは難しいけれど、吐き切った後には、それに近い諦念だけが胃の中に残っていた。