[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0325 いなくなった後のお片付け

 

 気が付けばたくさんの人がいなくなってしまった。そのように錯覚しているその実は、自分が違う場所に移動しただけなのに。大切なひと置き去りにして、離れた場所まで歩いてきた。もう後戻りはできないとわかっていても、踏み出した一歩を切り落とすことは難しい。これでよかった、これが一番の望みだったはずなのに、どこかちょっぴり寂しくて虚しい。これが生きるということなのかしら。だとすれば人生は残酷だ。そんな冷たい現実を手にするために、人は一生懸命に生きている。

 

 夢の中で過去に出会うとき、そこに香りは存在しない。香りなき情景はすべてが無情、だからここが夢の中であることを認識する。懐かしい気持ちに包まれる瞬間は、どこかで記憶に花が咲く。いつまでも、悔やんでいる。遠ざけてしまったこと、遠ざかっていったこと。もうどうしようもない現実を、一瞬でも忘れるために、わたし達は眠りに落ちる。一人きりのベッドで、寒い寒いと嘆きながら。

 

 目覚めるとたくさんの花に囲まれていた。赤青黄色、様々な彩りがわたしのすべてに寄り添っている。花は言葉を発しなかった。花だから言葉を発せなかった。なにを問うても、空に声音が吸い込まれるばかりで。本当にこれでよかったのだろうか? 見た目だけの美しさ、その中で生きていくことなどまるで不可能に思えた。

 

 人と話したい。美しくなくてもいい、醜くてもかまわないから、人と言葉を交わしたかった。一人で生きていくのは物理的に不可能なこと、その事実がいつまでも憎たらしい笑みを浮かべている。それでもね、偶然一人になってしまった時、ひとは一体どうなってしまうのだろう? 形が保てなくなって、頭がおかしくなって、心がボロボロ崩れていって。最後にはたくさんのゴミを撒き散らして、空を舞うことなく排水口に流れていく。だれにも気づかれることなく、思い出したときには跡形もなく。

 

 この懐かしい気持ち、ぜんぶ吐き出して無かったことにしたい。記憶はいつだって鮮やかで、まるで自分がすべて間違っているみたい。花の香りでいつまでも眠っていたかった。どこまでも歩いていきたかった。悔いても、悔やんでも、なにも変わらない現実だけがたった一つの優しさだった。これまでの過去、ぜんぶぜんぶ抱えながら生きていく。どれだけ美しい花もいつかは枯れる、人間もいつかは灰になる。朽ちていくなかで見つけた一瞬の輝きが、自分のかたちを教えてくれた。その光を目指しながら今日を歩く。明日も、明後日も、歩いていく。いつになったらたどり着けるのか、そんなことわたしにはわからないけど、その為に残された命を使っていく。与えてもらった優しさを、過去のなかで沈めないために。