世界のなかで輝く光をこの手で掴み取ろうとして、一生懸命になっている。まるで「光」がないと生きていけないかのように、強く抱きかかえ手放そうとはしないから。痛い、放してという声も聞こえず、ただ己の欲望を埋めるために光の純度を利用している。
なにかを手にするということは、また別のなにかを手に入れないということです。すべてを抱えて生きていくことはできないから、大切なもの以外は手放してしまえ。わたしにとって、あなたにとって、必要なものごとってなんだろう。物質的なものであったり、人との関係性であったり、身を置いている環境だったり。最近思うのです、いっそのこと、大切なものさえも手放してしまえばいい、って。強く握ったその手から、緩やかにすべてを解き放てばいい。
蝶は自由に羽ばたくからこそ美しい。虫かごに閉じ込めてしまえば、あふれる魅力が損なわれる。自由であるからこそ、美しいのだ。これは人だって同じで、大切な人だからこそ、自由に羽ばたかせてやりなさい。不安になる気持ちはとてもよく理解できるし、とどまることのない心配もあるだろう。それでも、わたしたちは誰かを縛れるほどに、完成された人間ではなかったはずだ。檻に閉じ込めるのは簡単かもしれないけれど、強制力からはいずれ反発が産出される。結局、執着は対象を遠ざけてしまう。余裕が大きく欠損した状態からは、甘い蜜を生み出すことなど出来はしない。
蝶に好かれる人になりたい。蝶が自由に羽ばたける、優雅で軽やかな空間を心の中に育みたい。ほんの少しの花壇があれば、それ以外はもうなにもいらない。いかなる執着も手放して、穏やかな心で土壌に水やりをしたい。気が付けば、見知らぬ蝶が迷い込んでいる。楽しそう、ふわり懸命に飛んでいる。風の流れと一緒になって、どこか遠くへお行きなさい。それまではどうぞご自由に、気が向くままにお休みになって。いなくなることは最善で、それも時の流れの一部分に過ぎなかった。居心地がよければずっといてくれて構わないし、飽きたら違う場所へと飛んでいけばよろしい。あなたたちは、いつだって自由だ。それはわたしも同じことで、蝶の様にいつだってどこへでも飛んでいける。美しい姿のまま、会いたい人に会いに行ける。それこそが本当の自由、何かを追いかけることも、必死に握りしめることも、もう終わりにしましょう。愛しているからこそ、手放そう。美しく飛び回るその姿を見た時、初めて自由を、感じるのです。
了