[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0484 火薬を飲み込む

 

 なんとなく、何にもしたくない日があって、これがいわゆる無気力である。今日一日はなんにもしないと決めて、ただベッドに横たわる虚無と時間は、人生を浪費している感じがして心地良い。たまにはこんな一日もいいかもしれない、ずっと動き続けていると疲れてしまうもの。生きることが嫌になった時には、一旦立ち止まって、自分自身を味わいたい。誰のためでもない、自分のために時間を溶かしてやりたいのです。

 

 一人って素晴らしいけど、時折やってくるこの淋しさはどうしたものか。雨が感情を加速させる、鬱屈とした愛の残像が生暖かい。これまでを生きてきた、様々な蜜と毒を味わってきた。記憶ってのは厄介なもので、覚えてるんだよ、過去の愛情やトラウマを。現在だけを見ていればいいのに、唐突なフラッシュバックに目が焼かれる。目を閉じても、耳を塞いでも、頭の中を支配する記憶は、きっとわたしのことを慰めようとしている。余計なお世話なんだけどな、どうしても憎みきれない過去の思い出よ。

 

 わたしには言葉があって良かった、書くことでなんとか日々を保っている。わたしには住む家があって良かった、安全な眠りを獲得している。わたしには仕事があって良かった、時として労働に救われることがたくさんあった。そして、わたしには人の恵みがあって良かった。自分一人で今日まで生きることが難しかったから。充足に心を向ける工程は、自分が生きていることを実感する。一体、自分が何に苦しんでいて、どうして生きたくないだなんて思うのか、そんなこと現在のあたまじゃ全然わからないけれど、それでもやっぱり、嫌なものは嫌なんである。ただ無気力だ、言葉を紡ぐことがやっとである。身近に感じるばかりの死と詩。

 

「どこか遠くへ行きたい」とは思わなくて、「このままここから動きたくない」とも思えなかった。それじゃあ一体どうしたいんだ。考えた時に思い浮かぶイメージは”爆発”そのものであった。「芸術は爆発だ」と岡本太郎氏は言いましたが、正にそんな感覚。ちょっとやそっとじゃ物足りない。恐ろしいほどの刺激が欲しかった。インスピレーションを爆発させて、自分自身さえも予想出来なかった場所に、ぶっ飛んでいきたかった。その為の無気力である。いまはただ火薬をたくさん飲み込んで、火力を増強させればいい。着火のチャンスはいつ訪れるかわからないのだから、それまでは黙々と火薬を飲み込む。しばらくはそんな生き方、死にたさの中で生き続けている。