[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0510 数々の温もり

 

 部屋のなかを見渡した時、頂いた物がたくさんあることに気が付いた。筆記用具、ハンカチ、ロックグラス、装飾品、色んな頂き物に生活を助けられてわたしは今日を生きている。昔から物持ちがよろしい人間であった為、もうかれこれ長い付き合いの物が多い。十代の時から好みがほとんど変わらない、だからずっと使い続けられる。

 

 わたしも大切な人に贈り物をする機会があるのだけれど、誰かに何かをあげたいと思う気持ちには、素敵な愛情が含まれていると思う。前提として、その人が素敵でないとそう思わないだろうし、その人に似合うこと、そして喜んでくれることを願って、選りすぐりの物を手渡す。笑顔で喜んでもらえると嬉しくて、使っている姿を拝見できた時には更に嬉しい。プレゼントっていうのは、送る側も、送られる側も、そのどちらもが温かい気持ちになれるものだと思っています。だからわたしは、贈り物を選んでいる時間が好きです。慣れないお店で優しい店員さんにああでもないこうでもないと相談しながら、あなたのことを考える時間がいつまでも好きだった。

 

 昔は贈り物をもらうことで自身の存在価値が上がるのだと、そんな愚かな勘違いをしていました。自分自身を認められなかったから、わかりやすい事象で錯覚するしかなかったんだね。自分を偽って言葉巧みに立ち振る舞うことは簡単だけれど、そうして得た贈り物は何とも虚しい形をしている。そのことに気が付いてからは自分らしさを取り戻し、誰かに何かを求めることがなくなった。そして、いつの間にか物欲が消滅していた。現在は誰に対してもフラットに生きていて、わたしはこの感覚を少なからず愛している。誰に対しても自分自身を保てること、その中でも時折贈り物をいただくことがある。あぁそうか、ぼくは何も間違っていなかった。

 

 

 現在はそもそも欲しい物が無くなったから、贈ることの方が多くなったけれど、やっぱり贈り物というのは素敵なものだと感じてる。ちょっとしたサプライズで今日一日が彩られる、物を見るたびにその日のことを思い出す。誰かになにかを贈る、その為に使える心とお金を持ち合わせていること。それだけで、この人生は正解だったんじゃないかと思えるのです。なんて、調子の良いことを書いているけれど、数日後にはまた日々に絶望したりするんだろうな。それでもね、そんな最中でも頂いた物たちがわたしを支えてくれる。わたしが自分一人で生きてきた訳ではないことを思い知らせてくれる。なんにも見えない暗闇でも、もたれかかれる温もりがあれば、安心して人生に苦しむことができるのです。