[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0527 肌の温もり

 

 誰かと一緒に暮らすというのは、どんな感覚なのだろうと想像してみる。

 

 実家を出て早や十数年、誰かの家に居座らせてもらうことはあっても、本格的に同居を決め込んだことはなかった。実家にいた時の感覚は既に消失していて、一人で暮らすことが完全なるデフォルトと化している。これは各方面で耳にすることだけど、やっぱり一人というのは楽だ。誰にも気を遣わず、自分の時間に集中できる。好き勝手やっても迷惑がかからない。まだ十代の頃のわたしは、これが自由というやつなのか...... なんてしみじみと感じていたものであった。それでも時折、とんでもない淋しさに胸が覆われることがある。

 

 精神を病み、世界を憎み、生きることを諦めはじめた頃合いに、大きな淋しさが渦を巻く。帰る実家もなければ、自分自身の家に帰ることが嫌になった。一人でご飯を食べることが苦痛になった。人に、そしてアルコールに依存するようになった。誰かと関係を築くために用いたアルコールが、いつの間にか酒を飲むことが目的になっていた。手段が目的と入れ替わるとはまさにこのこと、人間はとっても愚かである。

 

 いくら誰かを頼っても、何かに縋りつこうとしても、色んな箇所に傷が増えていくばかりだった。癒えることを知らない生活は、辛い。殻に閉じこもり続けた結果、少しだけ自分を取り戻せたと感じた。わたしには自分と向き合う時間が必要だったのだ。哀れみの一人暮らしが功を奏した、この生活も悪くないと思えた瞬間があった。

 

 

 例えば、誰かと同じ空間で生活を共にする。朝はおはようと言い合い、いってきますと言えばいってらっしゃいが返ってくる。家に帰れば一緒にご飯を食べて、ごちそうさまでした。その後は各々が好きなことをする。たまには一緒に映画なんかを鑑賞したり、お酒を酌み交わしたりもする。一日の終わりにはおやすみなさいを交わし合い、今日が緩やかに終わっていく。時には喧嘩をして、相手の言い分にものすごく腹が立つこともあるだろう。それでも、一緒に暮らしている相手ともなれば、僕はすぐに謝ってしまうだろうな。ギクシャクとした空気はとってもストレスだから、それは何よりも面倒なことである。

 

 なぜこんなことを考えているのか、それは夢の中で感じた人間の温もりが、とっても居心地良かったからである。少ない時間ではあったけど、間違いなくあの時のわたしは輝いていた。夢と現実は別物だから、実際に誰かと生活を共にすれば「マジか」ってことたくさんあるのだと思う。それでも、これからも人生が続くのだとすれば、一度は味わってみたい絶望の形ではある。後悔するかもしれないけど、少しだけでもいいから、温かい空気を肺一杯に吸い込んでみたい。一人でご飯を食べる悲しみを、ほんの僅かでもいいから忘却してみたい。現実では一人暮らしで、眠りの先にある夢の中では誰かと暮らしている。そんなありもしない都合の良さ、いまも夢を見続けているのかもしれないな、わたし。