[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0567 手書き

 

 字が綺麗な人が好き。綺麗な字を書くひとが好きだ。人は自分に無い部分を他人に求めるというけれど、この場合正にその通りなんです。わたしはあんまり上手に字を書く事ができない。あまり、字を書くことが得意ではない。読む分には差し支えないかもしれないけど(そう信じてる)、決して美しいとは思えない。

 

 これほどまでにデジタル化が進んだ現代。だからこそなのか、どこまでもアナログな手書き文字に注目してしまう。ふと手渡された付箋書き、そこに佇む美しい文字の羅列に驚いて、思わず心を持っていかれそうになる。不意打ちの顔面ストレートをくらった気分、これはもちろんいい意味で。好きになりそうになっちゃうんです、綺麗な字を書くその人のことが。これって性別は関係なくて、人としての大きな尊敬。なんやねんこいつと思っていた人が実はものすごく達筆でした、みたいなことも時々あって、そんな時は自分の傲慢さが恥ずかしくなる。だって私、こんなに綺麗な字を書けないんだもの。頭が上がらなくなる。

 

 同じ腕があって、同じペンを使用して、利き手は違えどもどうしてこんなにも差が生じる。字が綺麗な人の、紙に向かってペンを走らせる姿も好きです。ずっとずっと眺めていたい。紙とペンと呼吸を織り交ぜたASMR、心が浄化されていく。あぁ、綺麗な字。どうしたら字が上達するのだろう、と考えてみる。ペン習字だったり、書道だったり、とにかく毎日文字を書くであったり、いくつか方法はあるんだろうけど、結局なにもしていない。知り合いに恐ろしいほど字が美しい人がいて、しかもその美しさを独学で手に入れたとのこと。その方法を問うてみると、「小学生のとき、黒板に書かれた先生の字体を真似してたらこうなった」。なんやのそれ、字体を真似るなんてそんな発想全然ありゃせんかった。その先生もすごいし、それを真似しようと試みた生徒には拍手喝采。その方はめちゃくちゃ強面の男性なんだけど、文字だけを見ると、線の細い美しい女性を想起させる。心が震えるほどのギャップ萌え。

 

 どうやらわたしの周りには字が綺麗な人が多い。って、一定の年齢に達すると字が上手になるもんなんだろうか。わたしはずっと変わらずに一定ラインを超えられないままでいる。ずっと、自分の書く字を好きになることは難しかったんだけど、ある日友人が放った一言で価値観が変わった。

 

「下手でもないし、お世辞にも上手いとは言えんけど、君が書く字は芸術家みたいでいいと思うよ」

 

 この日からノートを書くのが楽しくなった、仕事で付箋書きする度に筆(ボールペン)が躍るように軽やかだ。彼女がくれたたった一言で、わたしは書くことが好きになった。実に単純ではあるけれど、それほどまでに嬉しかったんである。

 

 

 手紙が好きだ。書くのも、受け取るのも、好き。相手の文字をじっくりと味わうことが出来るし、会話とは違う重みやリズムが文体上に存在している。そういえば、長らく手紙を書いていない。そろそろ恋文なんかを書きたいものだけど、もう少し時間がかかりそうですね。誰とも8月を分かり合えなかった。気が付けば蝉の声が死んでいた。結局花火を見ることはなかった。そういったささやかな感動を、手紙に書き記したいと思う今日この頃。

 

 

了