夢のなかでは誰かのことばかりを心配している。現実ではあまりにも無関心なのに。だから人を好きになることが出来ず、一人で気ままに踊ることに虚しさを感じている。
見渡せば色んな人。幾つもの表情がスポットライトに照らされている。日陰に隠れて見えない人もいる。それなのに、外界から自分を閉ざすようにして、生きて、毎日同じ繰り返しで安心ばかり。こんなはずじゃなかったんだけどな、呟くも虚しさが広がるばかり。
お酒を飲むことにも、インターネットも、見せかけの愛情も、飽きた。何かに刺激を求めることに飽いている。「金と薬はわたしは裏切らない」と好きなアーティストが唄っていたけれど、わたしにとってはそれらでさえもいとも簡単に裏切りを果たす。いくらお金があっても、薬でぶっ飛んでも、埋まらないままの空虚がある。その事実がまた新たな虚しさを生み出している。悲しい。
全てがどうでもよくなって、日々生きてはいるものの、つくづく心が空っぽだ。「自分の為」が自分の為としての効用を失いつつあり、だったらわたしは誰の為に息をしていればいいんだろう。生きることも死ぬことも大した差はなく、そのどちらもが地獄なのだというならば、惰性で生きることも悪くないのだろうか。ペラペラの笑顔を顔面に貼り付けて嗤っている。そんな寿命の削り方でさえも、一つの人生として相応しい。
きっと誰かに必要とされたかったんだろうけど、その誰かがわたしにはわからないままだ。これから見つかるかもしれないし、このまま見つからないかもしれない。内に籠っているだけでは何も変わらないから、苦しくても世間の中に身を置き続ける。沈んだままの気分でいいから、自分と他人を諦めないようにする。会話を続ける、対話を続けていく。その中で目にした寸分の光を大切に抱きしめられるように、人には優しく在りたいな。綺麗ごとかしら、綺麗ごとなのかもね。
了