[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0287 側にいてほしいと願っても

 

 人生に惨敗した。

 

 有言実行、見事に死にました。どうしてこうも飲み過ぎてしまうのだろう。楽しかった、幸せだった、甘い蜜だけで終わらせてくれないのが人生の本質か。宿泊していたホテルで起きた瞬間から絶望した、動けない、起き上がろうとすると嘔吐した。刻一刻と迫るチェックアウトの時間が悍ましい。治れ治れ、吐けば楽になるとかそんな次元の話しではなかった。どうしようどうしよう、喉元に銃口を突きつけられているに等しく、ただわたしは絶望のなかで溺れ続けていた。

 

 心と身体に鞭を叩きつけ、何とかチェックアウトした。せめて連泊できればこんなことにはならなかったのだけど、どうせ寝るだけだからとケチって格安ホテルなんか選ぶんじゃなかった。やはり、身を預ける場所にはある程度お金を費やすべきなのだということを学んだ。

 

 現在地から自宅までの距離は電車に乗って一時間半程度。重度の吐き気から帰宅の不可能性を察する。とりあえず、どこかで横になりたい。吐き気が過ぎ去ってから、ゆっくり帰ろう。

 

 駅前にあったネットカフェに飛び込んだ。「フルフラットシートでお願いします」胃酸で喉の粘膜がやられている、声を出すことが苦しかった。発声と共に込み上げてくる吐き気、コンビニで購入した白いビニール袋が頼もしい。「身分証明書のご提示をお願いします」……その一言はわたしの死を意味していた。今日に限って、身分を証明できるものが何一つない。最早財布ごと家に忘れてしまったのだった。加速するキャッシュレス化、その流れに身を委ね過ぎたことを後悔した。

 

 結局、ネットカフェは利用できなかった。次に飛び込んだのはファミリーレストランで、ドリンクバーを注文した。ソファ席で横になるも、あらゆる食の匂いに胃酸が刺激され、ただ闇雲に吐き気が増すだけなのだった。こりゃダメだと感じたので店を後にする。滞在時間は10分程、もうどうしていいのかわからなかった。全くもって頭が働かない。

 

 あてもなく、ゾンビのように街を徘徊した。少し歩いてはビニール袋に吐き、また少し歩いては吐くを繰り返した。ものすごく喉が乾くのに、水を飲んでも身体が吸収を阻んでいる。その時目に入ったのがカラオケボックスで、オアシスを見つけた気がした。吸い込まれるように入店したものの、ネット予約の関係で一時間しか滞在できなかった。

 

 もう流石にどうしようもない。失意に飲まれていたわたしは、今からチェックインできるホテルを探すことにした。時刻は11時30分を示している。幸い、近くにあったいわゆる"ちゃんとした"ビジネスホテルに一室空きがあり、12時から滞在可能とのことだった。このような状況になって初めて痛感するのだけれど、世の中には身体を横に出来る場所というのが少ないのだった。相応のお金を支払わなければ、眠ることは難しいのだな。そう考えると、日々安全に眠られる自宅の存在がとても有り難く思えた。

 

 ホテル入室後、流れるようにベッドに横たわる。ここ最近味わった中で、一番の快感だった。全てが救われた気がした。わたしはいま、間違いなく安全の中にいる。それだけでお金を支払った価値は充分にある。眠った、泥のように眠った。

 

 基本的に、二日酔いというのは時間が解決してくれる。それは今回も同様なのだった。グッスリ眠って、目が覚めた時には夜になっていた。吐き気はほとんど消滅していたが、喉が爛れているので固形物を食べることが憚られた。二日酔いになるとゼリーが食べたくなる。それは普段の何倍も美味しく感じられて、わたしはこれを母の味と呼称している。人間、弱っている時ほどこれまでの日常がいかに幸せであったかということに感謝する。幸せは獲得するものなのではなく、側にあることに気づくことだ。だからこそ、たまにはこうして体調をぶっ壊すことも悪くないのかもしれない。というのは冗談で、もう二度とこんな苦しい思いはしたくないなぁ。