[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0296 小さな手

 

 会社からの帰り道、乗換駅のホームで電車が来るのをボーっと待っていた。世の中というやつには、観光客が増えましたね。溢れんばかりの人、人、人。通勤するだけで一体何人との人間とすれ違っているのだろう。そりゃあ脳みそがパンクするわけだ、人に酔うこともあるわけだな。これがあと何年も続くわけか......なんてことを考えはじめると、少しだけ気分が落ちる。ってかそもそも、なんで毎日電車に乗ってるんだろ。歩きたい、満員電車で人の濁流に飲み込まれたくない。「会社の近くに引っ越そう」以前から何度も固めたように思えるその決意は、時間と共に緩やかに流れていき、最後にはなかったことになる。「今年もあと一か月で終わるから、来年こそは引っ越す」しかし、今回こそは、ガチガチに決意したのだった。これも緩やかに流れてしまわなければ、いいのだけれど。

 

 ポンッ ポンッ

 

 そんなことを考えていると、急に後ろから肩を叩かれた。しかも、ものすごく優しい。パッと後ろを振り返ると、朗らかな夫婦が並んで立っていた。父親は3歳ぐらいの小さな少女を抱きかかえている。間違いなく他人だった、知り合いではない。不可思議な表情を浮かべながら、親子の顔を交互に眺めた。俯きがちになり照れ笑う少女、焦りに焦り散らかす母と父。「すみません!本当にすみません!」なんかものすごく謝罪された。どうやら、優しく肩を叩いたのは少女だったらしい。父親に抱きかかえられた状態の高さと、わたしの肩の高さが一致していたのだろう。とても叩きやすい、最寄の左肩だったらしいのだ。

 その時のわたしは、夜にも関わらずサングラスをしており(電車内の照明がまぶしい)、両耳にイヤホンを突っ込みながら、両手をポケットにいれていた。たまに、「あんたは黙ってると怖い」と言われることがあるんだけど、この時も夫婦に良くない印象を与えてしまったのかもしれない。駅構内の人の多さに辟易していて、ふてぶてしさが増していたのかもしれない。いざ口を開いても声音が低すぎて怖いと言われ、内容スカスカのジョークを発するようになるまでは、わたしの優しさは誰にも伝わらない。

 謝罪する親、クスクス笑っている少女、なんだか親子というものが凝縮されたような、そんな温かさを感じた。親には「いえいえ、謝らないで下さい」と伝え、少女には「あら、可愛いねぇ」なんてことを伝えた。もっと笑顔になる女の子。愛嬌のある子は生きていく上で得をするよなぁ、、、なんてことを思っていると、そのタイミングで電車が到着した。同じ車両に乗るはずなのに、「バイバ~イ」と手を振り別れを告げた。

 

 幼子の無邪気さに幾らか心が癒されながらも、叩かれた左肩の感触が、その後もずっと残り続けた。大人には真似できないであろう、絶妙にふんわりとした力加減。とても小さな手。なんとなく、なんとなく、泣きそうになった。「赤ちゃんを抱きしめると、脳内でオキシトシンが分泌されるんだよ」以前、恩師がこんなことを言っていた。抱きしめてはいないけれど、少し肩を叩かれただけで、こんなにも幸せで悲しい気持ちになるものなのか。突発的に発生したオキシトシンに殴打されているような、そんな気持ち。いつまでも大切にしたいような、でも辛くなった時には忘れ去られているような、そんな気持ち。わたしは久しぶりに、電車に乗りながら温もりを感じていた。