[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0386 愛と月日と温もりと

 

 なんだかんだ言っているうちに今年も二ヶ月が過ぎていて、流れる時の早さに驚愕することしかできなかった。今年はこれ以上のこと起こらんやろうなぁって予測、ものの見事にぶっ壊したい。今まで逃げてきたこととか、怖くてできなかったこと、少しずつでいいから取り組んでみたい。思っているだけではなにも変わらないので、思考を形に落とし込むために、手書きで、ノートに、想いを綴る。結局のところ拭えない孤独感というか、自分と向き合うためには一人の時間がたくさん必要で、それでもちょっぴり、寂しくて肌寒いと感じる。全然一人で平気だわと思っていたけれど、案外平気ではなかったみたいだ。自分に素直になれることはいいことです、だから現在の自分はそこまで悪くないんではなかろうか。

 

 偉い人は「与える人になりなさい」なんて言うけれど、やっぱりたまには与えられたい時もあって、不意打ちで天からのギフト、心がポカポカ温まりたい。願望だけが一人暴走して己の胸を鷲掴み、そんなんで苦しくなっちゃってどうするの。愛を求めることは悪くない、温もりを求めるのは悪いことではないのだよ。もっともっと素直に、周囲の雑音からは遠ざかって、心の声に耳を傾けて、生きて。与えたいなら与えなさい、与えられたいなら与えられる努力をしなさい、自分が好きな「わたし」でありなさい。

 

 ガバっと酒を飲んで、世界が恐ろしいと嘆いて、眠って。いつまでそんなこと繰り返すのだろうか。そんなもんでいいのだろうか、なにも変わらないまま、死んだ後にはすべてが消えるからといって、生活を蔑ろにしていいんだろうか。自分を愛せないままのわたしはいつまでも苦しい。ほんの僅かでもいいからさ、昨日よりも今日、今日よりも明日、「わたし」に近づいて寄り添って。在りし日の過去は、どう頑張っても過去のままであって、現在を生きないと人生の彩りはなんにも変わらない。変わることを心に決めたから、昨日までの自分と決別することを望んでいるから、今日から一歩ずつ進みます。一人は怖いけれど、心細い部分が大きいけれど、それでもまだ見ぬ世界を知りたいのです。

 

 過去に書いたことを見返していました。このブログにはいわゆる嘆き、ネガティブ感情ばかりを書き綴ってきたと思っていたんだけど、思いのほかそんなことはなく、割と前向きなことも、そして、愛情深い言葉たちも、たくさんたくさん散らばっているではないか。数年前のことが数年前のようには感じない、当時これをどんな気持ちで書いたのか、正確に思い出すことはできないけれど、過去も現在も関係なく、わたしにも愛情が宿っていることを再認識した。愛に溢れておる、そんな内容もあったりして、酒にのまれている時以外は結構温かい人間で、ちょっとしばらくのあいだ禁酒でもはじめようかしら。いまは心細くて不安で肌寒いから、すこしでも自分を温めるために、愛を感じるために、できる限りのことしてやりたい。そもそもどうしてお酒なんか飲んでいるのか、それは生きていることの苦しみで、もうそろそろ付き合い方を考えるときなのかもしれません。いまのわたしに枯渇しているのは、愛で、温もりで、コミュニケーションで、だからもう、ウダウダ言いながら酒に溺れる毎日、一旦切り捨てて自分を愛して。余った分で世界に愛を配って、心の底ではそういう生き方を、ずっとずっと望んでいたではないか。なりたい自分になる、なっていいんだよ、私。