[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0469 変わらないもの

 

「流行は変化していくもの。だけどスタイルは永遠」

 

ココシャネル

 

 思えばこの数年、身に着けているものがほとんど変わっていない。

 

 黒のTシャツ、黒のスキニージーンズ、腕時計、指輪、ピアス、サングラス。冬はTシャツがタートルネックになる。同じ服を複数枚所有していて、傷んできたら新品と総入れ替えする。帽子と靴はその日の気分によって変わる。最近はキャップとアディダスのスニーカーがお気に入り。別にミニマリストになりたい訳でも、スティーブジョブズ氏に憧れている訳でもない。好きなアイテムを追求した結果、現在の形に落ち着いた。

 

 以前も書いた気がするけれど、Tシャツにジーンズというド定番のスタイルが好きだ。飾らない自分でいられる感じがするし、装飾が無い分誤魔化しがきかない点も気に入っている。そして何より、容赦なく洗濯機にぶち込める。いつも同じ格好だね、とたまに言われることがある。この文言にどのような意味が込められているのかはわからないけど、まぁその通り事実であるから仕方がない。

 

 過去にはたくさんの服を所有していた。クローゼットはパンパンで空気の流れが滞り、収まっているというよりは詰め込んでいるといった表現が適切。毎日なにを着ようかしらとコーディネート、服装にはバリエーションが”なければならない”と思い込んでいた。お洒落でなければ愛されない、なんて意味の分からない固定観念に囚われていた。

 

 次第に差し迫る精神病、頭の中がごちゃごちゃごちゃ、もういいや一旦リセットしよう。断捨離を決意したわたしは、クローゼットを抹殺した。着なくなった服、いまの自分に似合わない服を少しずつ吟味しながら処分していった。これを書いている今現在、当時持っていた服は一着たりとも残っていない。当時クローゼットを埋め尽くしていたわたしのファッションみたいなもの、その全てが幻想だったのだ。笑える、本当に笑えてくる。物を処分するのは清々しい気持ち半分、同じぐらい苦しい気持ちもあった。もうこんな思いはしたくない、そう思ったわたしは、衣服を買うことに対してものすごく慎重になっていった。

 

 自分の定番スタイルみたいなものが欲しくて、たどり着いたのがTシャツとジーンズの黒装束。もう好きなものしか身に纏いたくない。衣服も、装飾品も、鞄も、靴も、香りでさえも。それがどれだけ高くても、安くても、値段なんてどうでもよかった。自分の気持ちが躍ること、ただそれだけが条件だった。最高の定番品を見つけること、それが物と向き合うなかでの唯一の課題。周りの意見なんてどうでもよかった。人によって変わるものは当てにならないし、いわゆる”ウケ”を狙って生きるのも馬鹿げてる。スタイルに関しては、自分至上主義が最高なのだ。自分らしさを知る、それだけで人生が幾らか生きやすくなる。

 

 そんな中でも変わっていくものもある。近年はアディダスがとても好きです。定番のクラシカルなジャージはあまりにも美しく、着用する度にワクワクする。もう何年も愛用しているけれど、ガンガン洗濯しても平気な顔を浮かべてる。衣類は消耗品と考えているから、もし劣化して駄目になった時には、同じ型番を買い直すつもり。スニーカーも軽くて踊り出したくなるほど歩きやすい。スポーティーであればあるほど、いつでも運動ができる安心感がある。このまま歩いてしまおうかしら、ジムに寄って帰ろうかしら、はたまた居酒屋に行こうかしら。身軽であることで行動の幅が大きく広がる。美しくて、機能的。わたしの願望を叶えてくれるブランドなのです。どれほど高級なハイブランドよりも、わたしはいつまでもアディダスを愛用していたい。

 

 一年前に愛用していた物が、気が付けばクローゼットから出てこなくなったりもする。今年はマフラーを使わなかったし、スラックスも手入れが面倒で履くのが億劫になった。いつか使うかもしれない、いつか身に纏うかもしれないけれど、いまの自分が必要としていない物ならば、思い切って処分してみるのもいいかもしれない。Tシャツとジーンズさえあればどこにでも行けるという解放感、この感覚がわたしは大好きなんです。シャネルの創業者であるココ・シャネル氏は、晩年のクローゼットにはシャネルスーツが2着だけ収められていたそうです。「これだけあれば私には充分」といった心意気。わたしはこの身軽な概念を愛している。Tシャツ、ジーンズ、ジャージさえあれば生きていける。世間はわたしのことをどう思うかわからないけれど、わたしはとっても楽になれました。ファッションが好きな人は、思う存分に資金と時間を費すべきだと思う。いつだって楽しさは正義であり自分の味方である。けれど、わたしは全然違った。過去の自分は「お洒落に見られたい」という見栄に駆られて衣服を購入していたのだ。それはそれでいいんだけど、それよりも、もっと大事なことがあるでしょう。もっと大切で、重要なことが、わたしにはあったでしょう。いまは頭がスッキリとしている、これを書くことによって、もっとスッキリした。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。至極個人的な、あたまの中身。