[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0301 都会の夜に浮かぶ星

 

 なんだか突然しんどくなって、どうにも心が重い時には、一度立ち止まって空を見上げてみる。

 

 空を見上げる、メンタルヘルス系の書籍によく書いてある。「キレイゴトかよ」って昔は思っていたのだけれど、年齢を重ねるにつれてその真理を体感するのだった。スマートフォンをいくらスクロールしても悩みの答えは書いていないし、友達や家族が悩みを解決してくれるでもない。やっぱり最後は自分の意思で解決しなければならなくて、でも、疲れた頭でなにを考えても正解にたどり着くことは難しい。だからこそ、現代を生きるわたし達には小休止が必要なのだ。

 

 なにも持たず、ただ自分自身だけを携えて、外をゆっくり歩いていく。スマートフォンはクローゼットにしまい込んで、他の大切なものも、いまは全部なかったことにする。外に出るのが辛いときは、ベランダに出て外の空気を味わうだけでもいい。都会の空気が美しくないとわかっていても、外にでて深呼吸をすれば肺が少し喜んでいるのがわかる。会いたいひとに会えなくても、まわりにだれもいなくなっても、いついかなる時も、自分自身はここにいる。自己を分離することが不可能だからこそ悩ましい部分もあるのだけれど、それでも、自分の存在を改めて認められるような、そんな感覚になる。

 

 仕事中、人々の雑音に疲れたときにはソッと姿を消してビルの非常階段に向かう。老朽化した、誰もいない非常階段が好きだ。そこにいるのはわたしだけで、そのことをわたしは知っていて、それだけで心が安らかになる。ビルの隙間に流れ込む風を精一杯肺の中で受け止めながら、夕暮れ時の空を見上げる。最近は日が沈むのが早くなった。わたしを遮るものはなに一つとして存在せず、一歩踏み出せば落下して人生が終わる。なにをするでもなく、広大な空と見つめ合うその時間が、わたしの中にある”私”を教えてくれる。

 

 人生が順調に進んでいない時には、立ち止まることが必要だ。ゆっくり呼吸をすることが、空を見上げる時間が必要だ。どんな夜空にも、空の向こうでは星が浮かんでいる。また向こうから見れば、同じく浮かぶ惑星の上で生活をしている。人間、一人ひとりがちっぽけである。そのなかで発生する大きな悩みが、小さな人間を苦しめる。苦しくなると、呼吸が浅くなるから、わたし達は自分を見失わないために、もっともっと深いところまで落ち着く。空に浮かぶ星を、夕暮れを、この焦燥を、瞳に閉じ込める必要があったんだ。