[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0468 憂さ晴らし

 

 お酒を買った。そのほとんどが排水口に流れていった。液体そのものが無意味、いまの自分には必要のないことのように思えた。なにやってんだろ。なにもやってないんだろうよ。刺激を見出すためにアルコールへと手が伸びる。もっと、静かに暮らせればよかったのに。もっと、自分を愛してあげれたらよかったのに。一人で飲むお酒はどうしようもなく虚しいのだ。そんなことずっと前からわかってた。ずっとずっと、パックリ開いた大きな傷に流し込んでいた。痛い、そりゃあ痛いよな、人生。やめたいのにやめられない、やめられないから止められない。心ばかりがすさんでいく、あの頃のわたし、愛されているわたし、未来と過去。

 

 現在は泥沼のなかへと沈んでいく。誰もそれを疑ったりはしない、所詮自分にしか興味がない生き物だから。そう、それは自分自身もそうだった。利他的でありたいと思っていたのに、結局は自分の快楽ばかりを追求してる。こんなのってドーパミンの奴隷、無意識で感じる不自由さ、日常に拘束され続けている。生きることが辛いとか、死ぬことが恐いとか、そんなこと、そんなこと。

 

 流れるいまを感じたい。お酒を飲んでいる時は時間の流れが不明瞭で、いまこの瞬間を放棄している。自分のなかにある明確な線引き。楽しいお酒が好きだった。誰かと一緒に飲むお酒が、大好きだった。アルコール依存症になりたい訳じゃないんだよ。脳が傷つけろと命令してくる。不幸を選択するように差し迫ってくる。わたしが私を否定し続けた結果、これが最後の成れの果て。誰か、誰か、あぁそうか、もう誰もいないんだった。木々が生い茂る、日が照り、鳥の鳴き声、公園のベンチで項垂れる人。待っているだけじゃあ誰も手なんて差し伸べてはくれない。自分の足で動かなければ、古椅子から立ち上がらなければ、なんにも変わらないんだよ。日常がつまらなく感じて、どうでもよくなって、投げ出してしまいたくなるのは、そういうことだよ。問題はいつでも自分のなかにある。さようなら、絶望。もうわたしのところには帰ってこないで。全部なにもかも受け容れるから。