[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.026 Obsessive–compulsive disorder

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「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」

 

 

或旧友へ送る手記 / 芥川龍之介

 

 

 

 皆さんは現在不安を抱えているでしょうか?えぇ、わたしは抱えています。そもそも一切の不安感が無い人間など存在しないのではないか、不安があるからこそ人が人の形を保っていられる。現在のわたしはそのように考えることが出来るようになりました。これは物凄い成長だと、自分自身を褒めてあげたいものです。それでも不安感情に精神を支配されている時はとても苦しい。苦しさゆえに、冷静さ、客観性を見失います。主観的な自分自身の殻に閉じこもってしまう。わたしが思うに、不安感情というのは自分自身が生み出す幻影のようなものだと解釈しています。ある事柄に対する不安感、未来に対する予期不安、過去の行動に対する不確実な不安感、多種多様な不安感情が存在、そして混在している。起きた事象がまったく同じ場合でも、「1. Aさんは全く動じないで平然としている」「2. Bさんは少しばかりの不安感情がこみ上げてくる」「3. Cさんはパニック宛らの様相を浮かべもがき苦しむ」このように、感じる不安指数は当事者によって異なるものですよね(当たり前の話しなのですが、もう少し掘り下げていきます)。この場合、Aさんは鋼のメンタルと称えられ、Bさんは健常者のメンタル、Cさんに関してはメンタルヘルスケアの案内シートを配られることになるのか。いいえ、そんなことはない、各々に生じた感情がその人にとっての”普通”なんです。沸き起こる感情に異質なものなどありはしません。誰かが優秀で、誰かが劣等だなんて勘違いも甚だしいものですよね。その優劣を規定するのは”他人=世間”かもしれない、はたまた”自分自身”かもしれない。いずれにせよ、他者との比較はわたし達の心に不安の種を植え付けます。その種はある一瞬間の内に芽を出し、目を見張る速度で根を張り巡らせ、当人を支配します。咲いた花はさぞ、おどろおどろしい造形をしていることでしょう。やがて散る花弁は心に傷を刻む。心臓部分に絡みついた根を振り払おうとすればするほどに、足掻けば足掻くほどに、その根は強度を増すことになる。挙句の果てに、その根一本一本が花茎と見間違うほどに逞しく、頑強な存在として当人の心を圧迫してしまう。もうこうなった時には振り払うことが困難となり、体力だけが奪われ続け、地面へと頽れることしか出来なくなるのです。

 

 なぜ、わたしはこんなにも不器用なのでしょうか?どうして、こんなにも生き辛いのでしょうか?なぜ、どうしてを幾度となく繰り返した所で、現状は何一つ変わらないものです。当人のこれまで育ってきた環境や境遇、実体験によって事象の捉え方が変わってくる。自分自身のフィルターを通して一度事象を濾過させる、そしてやっと感情が抽出される。これは不安感情だけではなく、人間に沸き起こる喜怒哀楽の感情すべてに言えることだと思います。そしてそのフィルターは自分自身の価値観から生成されているもので、そこから抽出される感情というのは、全て当人のオリジナルだといえるのではないでしょうか。例え、膨大な不安感に苛まれていたとしても、その不安感さえも自分自身から出た個性的な感情なのだから、決して否定はしないようにしたい。自分自身が感じたことは、すべて認めてあげたい。そのように現在のわたしは思います。気を抜くとすぐに落下してしまう私たちだからこそ、かけがえのない私自身を愛する努力を怠らないように。自罰的傾向にある人間は自分自身を罰する代わりに、出来なかった昨日や、出来ていない今日、出来ないであろう明日に「出来ない」の言い訳を与えているだけにすぎないのです。行動しない為のプレゼントを日々丁寧にラッピングしている。私自身がそうだから、痛いほどよく理解ります。それでも、自分に鞭を打ってでも、もっともっと意識的に自分自身を愛してほしい。これはわたしから僕へ宛てた、ある種の恋文でもあります。

 

 この数か月間で色々なことが起きました。生きていれば多種多様な出来事に遭遇するものです。きっとこれを読んでいる皆様も、たくさんの出来事に出会い、向き合ったり逃げたりして様々な思いを巡らせながら、今日を生きているのだと思います。人によって違う考え方や感じ方がある。その時々によって変動する感情が私たちの中には存在している。それはまだ眠っているだけかもしれないし、もしかすると既に踊り出しているかもしれない。踊り続ける不安感情を追い払おうとしても、華麗なステップでかわされてしまい、そして体力だけが奪われていくのです。踊っているのなら、そのまま放っておけばよろしい。こちらの気を引くために、より激しいダンスを繰り広げるかもしれませんが、それでも尚放っておく。人間も感情も同様に、いつまでも踊り続けることは不可能なんです。やがて疲れ果て、終いには動きを止めてしまう。動きを止めるまでの間は苦しいかもしれないけれど、不安感情の体力が尽きた時にはその苦しみも同時に消失しているものです。”不安”という感情は軽快なピエロに似ている。ピエロでさえも、道化を演じ続けていれば、やがて力尽きてしまうのですから。

 

 人生って難しいですね。「とてもシンプルな蟻地獄みたいだ」と、ここ最近思うようになりました。自分が抱くすべての感情をそのまま認めてあげる。それが人生を歩む上で最も大切なことなのかもしれません。光が存在する限り、影は常に付きまとうものだから、不安も苦しみもそのままでいいんだよ。抵抗しないでいいんだよ。泣いてしまったとしても、それはそれで素晴らしいことなんだよ。きっと。

 

あなたの良い部分は、自分の弱さを自覚していて、その弱さを隠さないところ。