[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.053 欠落の交換チケット

 

「人は長所で好かれ、欠点によって愛される。」

 

 真夜中乙女戦争 / F

  

 

 私は脳内のキャパシティみたいなものが、他の人に比べてとても少ない(敢えて他人と比べてみる)。最近つくづく痛感しています。少しばかり選択肢が増えるだけで脳がオーバーヒートしてしまう。今回はそんな人生の選択肢について言及していきたいと思います。
 
 「人生に於いて選択肢は少なければ少ないほど好ましい」という持論をずっと抱きかかえている。特に多様化が進む現代では、あまりにも物事の選択肢が多すぎる。以前読んだ本の中で、「人間が最も心地よいと感じる選択肢の数は3つ」という一文が強く印象に残っている。寧ろ選択肢は3つまでが限界らしく、それ以上増えた場合にはストレスが生じるとのこと。これは自分の人生経験から見てとても納得が出来る内容だと思った。
 
 選択肢が少なければ少ないほど、決断力=エネルギーの消費量を抑えることが出来る。買い物に関していえば、それぞれの分野で購入する店、贔屓する店を決めておく。例えば、服はユニクロ、靴はドクターマーチン、香水はシャネル、ガジェット類はapple、みたいな感じ(こうやって書き出すとイキり大学生みたいな総体やなと思う)。こうすると、何かを購入する時に複数の店舗を比較する必要がなくなる。予め決めておいたお店に行けば求める物が売っている。複数種類があればその中から選ぶ、といった具合で。これだけでも買い物で消費される決断力が物凄く軽減されて心が楽になる。そして、何よりも理想的なのはそもそも決断自体をしないこと。最初から選択肢が存在しなければ、眼前に置かれたその一つを手に取るしかない。買い物の場合は定番品を購入する。その商品がどのくらいの歴史を持っているのか、季節を問わずいつでも購入することが可能か、自分の場合はこの2点を重要視している。一度定番品を買ってしまえば、今後は同じ物を買い続けることが出来る。壊れたら同じ製品を新たに購入する。多少なりともお値段が高くなってしまっても、心の安寧を保てるメリットがとても大きい。上述した自分が贔屓にしているお店で買っている物は全て定番品であって、いつでも買い直すことが出来る。ということは、大体50万円ぐらいあれば今日からあなたも私になることが出来るんだ。しかし、長年身に纏い続けてきた私の実績には敵わない。それらは全て私の身体の一部となり完全に溶け込んでいる。
 少し話が脱線してしまったけれど、要するに買い物で消耗される決断力は物凄く多大だということなのです。
 
 選択肢といえば、毎日同じ服を着るとか、同じ食べ物を摂取するとか、同じお酒を飲むとか、そういった生活上のルーティンみたいな感じも好きだ。同じことを繰り返す日々は、人生をとても豊かにする。何もかもを繰り返すのではなくて、要所要所をルーティン化する。先日、「うどん、そば、マクドナルド、この3つがあれば僕は生きていける」と知り合いに言ったところ「偏り~」と苦笑いされた。ここ数年食生活は実際にそんな感じだし(栄養面を考慮してその他発酵食品やサプリを摂ってます)、本当に飽きない。服も黒一色になってから何を着るか悩む時間が消滅した。お酒は安定のストロングゼロウイスキーを愛飲している。
 


 繰り返される毎日を続けていると選択肢が減るメリットのほかに、些細な変化に対して敏感になる。心情の変化だったり、物理的な変化だったり、日常に突如現れる様々な変化をいち早く察知することが出来る。それが良い兆しならばより多くを吸収すればいい、悪い兆しならば早急に回避する。見落としていたかもしれない変化を、丁寧に受け止めることが可能になる。これこそが自身の中で一番の変化であり、嬉しい副産物でもあった。[本読んで、運動して、ご飯食べて、本読んで、寝る]といったループの中で、ある日突如として”書きたい”という気持ちが生まれた。そして、今もこうやって色々な場所で書き続けている。[本読んで、書いて、運動して、ご飯食べて、書いて、本読んで、寝る]のループへとアップデートされた。


 意識的に自分自身を変えようと意気込んでいる時って、大抵の場合上手くいかないことが多い。思うに、必要な物事は、自分が必要なタイミングで生活上に滑り込んで来るんだと思う。自分自身でもどうして現在のルーティンやスタイルみたいなものが形成されたのかわからないし覚えていない。気がつけばこうなっていた。必要な時に、必要な物を取り入れていて、自然と生活がアップデートされていた。不必要になったものは、消えていった。
 
 人によっては、つまらねぇ生活だなと思うかもしれない。「あなたの生活は何だかロボットみたいで生き辛いわ」と言われたこともある。しかし、私はそのつまらなさを愛しているし、度々撒き散らしている生き辛さみたいなものは全て自分の歪んだ性格から生産されているものであって、同じことを繰り返す生活自体は寧ろ生きやすいと感じている。基本的に、一度好きになったらその先もずっと好きなままでいることが多い。捉え方を変えれば視野狭窄に陥っているだけなのかもしれない。執着しているだけなのかもしれない。それでも尚、わたしは胸を張って好きだと言いたい。愛した物になら、自分が破壊されてしまっても構わない。好きなことで、壊れたい。

 

 

欠点は最大級の武器になる