[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.080 飽和、空や夢や希望でさえも

 

 

 なんというか、もう滅茶苦茶に飽きてしまったと感じることがある。食べることも飲むことも見ることも読むことも、何処かへ行くことも、誰かと過ごすことも、とにかく何もかもに対してだ。辛うじて書く事には飽いていないのでこうやって文章に起こしている訳だけど、それ以外は何をしても駄目だ。心が動かない、音すら聞こえてこない。面白い訳でも面白くない訳でもない、ただただ其れ等は通り過ぎていく。

 

「無」

 

 ”あぁ、つまらないなぁ”なんてことをうだうだ言いながら生を消費していくのだろうか。現在がつまらなく感じるのは、間違いなく自分自身の責任だ。それでも、「人生の充実度合いは自分で決めていくものだ」みたいなことは言わないでくれよ今だけは。顔面をいちごパフェで殴打されたい、ラブホテルで一人踊り狂いたい、馬鹿みたいに群れて笑ってる人間の基節骨をへし折りたい。やりたいことを一つ一つクリアしていけば心が再起動してくれるのかな。否、きっとこれはそういう問題じゃないんだと思う。

 

 だとすればどういった問題?、それがわからないから困っているんだ。生活に対して、人生に対して、飽き飽きとしている。恋でもすれば日々が彩られるのかしらと思うけれど、一欠片の予兆すら感じられない。何もかもに対して飽きてしまっているから、恋にすら発展しないのか。そもそも恋愛に彩りが確約されている訳ではないからして、あまり期待しない方がいい気がするな。

 

 圧倒的に無気力だ。心が落ち込んでいる訳ではない、寧ろ最近は快活な方だ。それなのに、この「無」は一体何なんですか。いよいよアルコールでさえ飽きてきた、そんな自分に驚きを隠すことが出来ない。別に、飲んでも飲まなくてもどっちでもいいというか、無ければ無いで大いに結構だけど、あるから惰性で飲んでいる、大体そんな感じ。味が好きだから飲む→酔いたいから飲む→惰性で飲む、わたしは最終段階に到達したのかもしれないな。誰かと飲むお酒は美味しいし、とても楽しい。だからこそ居酒屋が好きだ。一方、独りで飲むお酒は落差が激しい。ものすごく楽しくなれる時もあるけれど、それ以上に落ち込むことの方が多い印象がある。

 

 最近は落ち込むことにも飽きてしまった。落ち込むことによって膨大な体力が消費されてしまう。とても疲れてしまうし、ただ意味もなく苦しい。落ち込んだり悩んだりすることは、これっぽちも生産的ではない。そもそも、そういう状態の時には”生産”といった概念が破綻している。何も生み出さず、ただ心だけが削がれていく。「何してんやろ、アホやん」と思った。既に起きてしまった過去はどうすることもできないから仕方がないし、起きるかもしれない未来を怖れることは死ぬまで幽霊に畏怖し続けることと同義だ。基本的にどうしようもなくて、結果的になんとかなるもんだ。いつまで馬鹿を続けるつもりなのか、この先も幽霊にひれ伏しながら死んでいくのか。そう考えると急に冷静になってきて、良い意味でも悪い意味でも、心の振れ幅が少なくなったように感じる。

 

 

 「生産的であれと言いたい訳ではない。別に何も生み出さずに生きていたっていいんだ。生きていることが素晴らしい、死んでいないだけで立派だ、などとも言わない。どう生きていくかは当人次第なのだから、勝手にすればよい。何かを生み出したいと思った時に初めて行動に移せばよい。そう思わないのなら、そのままでいいんだよ。ずっとそのままだったとしても、何一つ後ろめたさを感じる必要なんてないんだよ。」

 

 

 なんてことを誰かに言われたら嬉しいな、と思い巡らせてみたけれど、特にそうでもなかった。その内、飽きることにさえ飽きてしまって、少しでも心が潤ってくれればいいんだけどな。