[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0284 変化の渦

 

 世のすべてのものは移り変わり、生まれては消滅を繰り返し、不変なものは存在しない。諸行無常はもちろん人間にも当てはめられる。

 

 変わったなと思う人、変わらないままだと思う人、変わってしまったと思う人。人の心は移ろい、その時々において色んな物事に触れている。時間が経てば、話しの波長が合わなくなることも多くて、そもそも会えなくなってしまう場合もある。物事の性質上それは仕方ないことだとわかっていても、どうしてもきっぱりと割り切れない鈍い痛みだけが、いつまでも心の上で鎮座している。

 

 わたし自身も時間と共に姿を変えている。一般的に自分の変化には気が付きにくいと言われているけれど、体感として自分はものすごく変化している。「変わったね」と惜しむように吐き捨てる人もいれば、その中にあるいつまでも変わらない部分に笑顔を浮かべる人もいる。結局のところ、変化というのは単純に過去との比較なのかもしれない。過去のわたしは間違いなく”わたし自身”なのであって、それでも過去は現在を生きることができない。”現在のわたし”こそが全てにおいて正しい存在なのだと思う。それなのに、勝手に他人の比較検討を行い、変化に対する良し悪しの判別を下すのはどうなのだろう。時には全くもって聞き捨てならない暴論も入り混じっていて、何となく人間の身勝手さに絶望してしまう。

 

 もう放っておいておくれよ。変わることが世の常なのだから、都合が良ければ関わっていればいいし、何か違うなと思ったら静かに離れてくれればいい。逐一言葉のナイフで刺さないと気が済まないのだろうか、人間。過去も未来もない、現在のわたしを見てほしくて、現在のあなたの姿を見ていたい。だからわたしは、「あの頃はよかった~」みたいなアホな会話が大嫌いだ。どうせ変わりゆくものだから、わたしはいつだって現在のお話をしていたい。今この瞬間にしか話せないこと、たくさんあると思うのです。

 

 お互いに変わったから会わなくなった人。変わらないままの強い部分で今でも繋がっている人。恐らく、未来では跡形もなく関係が消滅している人もたくさんいるだろう。だからこそ、いまこの瞬間を生きていたい。家に引きこもっている場合ではなくて、かけがえのない誰かに会いに行きたい。人間はどうしようもなく怠惰だ、まるでわたしが人間を象徴するかのように。「そのうちに会おう」と思っている”そのうち”は気が付けば永遠に消失している。会わなかったことを後悔するぐらいなら、最後だと思いながら会って、少し寂しい想いを抱きながら別れたい。遠くない未来で、あなたは変わってしまう。わたしも、現在のわたしではなくなってしまう。だからこそ人は別れる、だからこそ人と人が出会う。いつまでも同じということは現象としてあり得ない。わたしは、今日を生きるあなたと、会ってお話しがしたいのです。その想い出をお守りとして、これからを生きていたいのです。

 

 振り返ることは無けれども、それはとても優しい盾となり、わたしに生きやすさを与えてくれるから。