[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0331 星屑の残骸

 

 久しぶりにEvernote(クラウドメモアプリ)を開いたら、そこには数年前に書いた文章があった。コロナ渦に書いたもので、このブログをはじめる前だと思う。当時は誰に公開するわけでもなく、時折自己満足で書いていたんだけど(いまも自己満足は変わらない)、やっぱりどうしても書きたかったのだな。ブログ、毎日更新するようになって、それが全然苦にはならなくて、寧ろ日々が楽しくなって、他の場所でも書いたり読んだりしていて、なんかこう、文章という概念が本当に好きだ。

 

 
「スーパームーンが枯れたように咲いている」
 
コロナウイルスの影響で会社から自宅待機との通達があり、今日までニート同然の生活をしている。明日以降もしばらくニートだ。ストレス解消の大半を占めるジムでのトレーニングも、感染予防の為自粛している。そんな訳でほとんど死んでいた。24時間耐久でアニメを見て過ぎ去った一日もあった。多量飲酒の二日酔いで潰れた一日もあった。こんな時にゲームがあればと思うのだけれど、ゲーム機以前にテレビを持っていないことを思い出した。パソコンゲームは魅力を感じないし、スマホゲームはそもそもスマホが嫌いなので全く魅かれない。やることといえば、「映画鑑賞/音楽鑑賞/読書/文章作成/自宅トレ」このぐらいしかない。食事は毎日同じメニューしか食べないので楽しみというよりは作業的な感じ。ひとりで酒を飲んでも気持ち悪くなるだけで、最早何の意味もない。「自分は仕事が好きだったんだなぁ」って改めて感じる。切実に激しめの動的作業がしたい。僕はここ数年にわたってほぼ毎日同じ香水をつけているのだけど、ごくたまに違う香水をつけたいな、って気分の時がある。それで以前好んでつけていた違う香水をつけてみるんだけど、染み込んだいつもの香りとの差異に気分が悪くなり、つけたことを後悔する。やっぱりいつもの香水が最高に心地よい。恋人でも同じで、いることが当たり前になってしまうと、離れない限りは存在の有難みに気付けないものだ。月並みの言葉だけど、「当たり前の何気ない日常がとても幸せだったこと」に気がついた人は多いんじゃないだろうか。僕もその内のひとりだ。会いたい人に会いたい時に会いに行ける。これだけのことが素晴らしいを通り越して最早美しく思える。自分だけが病で苦しい思いをする分にはどうでもいいんだけれど、無症状でも他人様に移してしまう可能性があるという点が一番厄介ですよね。それ故に人肌に触れることもできないのが絶望的だ。安易にセックスもできない、となると溜まった欲望はどこに消えるのだろう。それでも今回の影響でコンドームの需要が急激に上がっている事実に安堵を覚えるのはどうしてだろう。こんな時でも溢れ出る欲求に安心するのは何故だろう。たったそれだけのことで、人間はまだ健康的だ、と思える。 部屋の照明を蝋燭に切り替えて、ドビュッシー/月の光を何もせずボーっと聴いていると、このまますべてが終わってしまうのか、みたいなナーバスな気持ちになれるのでオススメしたい。(そんな感じで世が終わっても、僕は何一つ後悔はないんだけども。)それでも、朝日で目が覚めた時には「まだ今日を生きてる」って少しワクワクした気持ちになるものだから不思議だ。誰がいつ死ぬかわからない、もしかすると、もう二度と会えないかもしれない。僕みたいな日常的に連絡のやり取りをしていない人間は、家で死んでいても数日は気付かれることはない。だからこそ、もう一度会う為に、生きる可能性を高めなければならない。のかもしれない。 
 

 

 何となく載せてみる。書いてること、現在とあんまり変わらないな。ちょっと文体がぎこちない様に思えてなんだか眼球がムズムズする。結局、これを書いた数年後も生きてる。世界、まだまだ全然終わってないよ。会えなくなったひとはたくさん生まれたけど、それでも孤独とのよい距離感を見つけた。書く事は、孤独のなかで行われる。誰かと一緒にワイワイ言いながら書き上げる文章、なんだかイメージとして湧きにくい。一人になることで言葉が浮かび上がる。自分と向き合うことで心臓が締め付けられる。書くことは、同時に痛みを伴う行為でもあって、未だ見たことがない自分と出会う行為でもある。その時にはスラスラ書いてるつもりでも、後から見返すと「これって僕が書いたん?」って文章わんさかあって、それはやっぱり自分であって自分でないような、不思議な感覚なのである。

 

 文章とは、未来に向けた手紙なのかもしれない。未来の誰かが読んだとき、自然と微笑が浮かび上がる、そんな言葉ばかりを紡ぎたい。たとえそれが自分自身であっても、笑みを生み出したことに偽りはないのだ。まだまだ、まだまだなんです。日常の一部、生活の一部分として緩やかに溶け込んでいる。もっともっとその範囲を広げたい。言葉を配りながら、どこまでも歩いてゆきたい。

 

 

 きょうも朝日はまぶしくて、

 月が枯れたように笑ってる