[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0492 包容のメロディー

 

 鳥のさえずりで目覚めた朝は、なんだか少しだけ心地よかった。自分が自然の一部分になったような、そんな感覚。いくら眠っても不足気味の睡眠がわたしのことを生かそうとしている。何の為に生きてるのって。そんな理由なんて存在しないのに、いつまでも心臓を合理化しようとしているのだ。自分のためだけに生きるなんて、人生があまりにも長すぎる。誰かのために、その誰かがいないから呼吸がしづらいのだろうか。寝起きの頭で責任転嫁、結局は自身の人間性に帰結する。

 

 生活上での消耗品が無くなる度に、生きていることを実感する。毎日飲むコーヒーも、冷蔵庫に収まった食材も、細々として掃除用品も。その何もかもが放っておけば在庫切れ、補充が完了した後に人生が再開される。この感覚が、何となく好きだった。気力が追いつかない時は消耗品が枯渇したままの状態が続いていて、文字通り人生そのものが停滞している。心の流れが良い時は、適切なタイミングで補充が行われる。とってもわかりやすい、これは自分にとって一つの指標になっている。現在の我が家は、在庫が品薄になっているものが幾つか見受けられる。生活。

 

 ほんの少しだけ落ち着いて、自分を責めることを終わりにして。何となく仕事をして、何となく好きなことして、何となくお話しをして、思うがままに生きていればいい。幸いわたしは自由を手にしていた。その気になればどこへだっていけるのだ。やりたいことに取り組めるのだ。嫌なことがあれば逃げ出してしまうことも可能なのだ。思い返せば過去、本当に生きてきたのか確信が持てないたくさんの過去。自分自身のことを許してあげてほしい。人生の主人公であり、物語を取り仕切る監督でもあるのだ。心が赴くままに休息をとって、快復後に踊り出せばよかった。疲労感のなか踊り続けることはできないのだ。相手無しにワルツを踊ることは不可能なのだ。心のなかに閉じこもっているばかりでは、相手を見つけることは叶わない。いまは考えることを一時保留にして、流れに身を任せて生きてみる。いつまでも音楽は鳴り止まない、わたしを包み込むメロディーだけが、ほんのちょっぴり優しかった。