[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.004 AM0:00の境界線

 

 

 人の体温を根こそぎ拐っていくような、そんな夜に出会う時がある。

 

 夜に抱く印象は何ですかと問われると、温度の無い水色と答える。一人暮らしの夜は静かで心地がよい。しかし、時にその静けさに精神が殴殺される時があって、信頼していた心地よさに真正面から裏切られたような、アウターのジッパーに挟まったままのシャツみたいにどうしようもない気持ちに陥るときがある。最近は比率的にどうしようもない夜の方が多くて、そんな時は身動きが取れなくなり、足早に眠ってしまう。眠ることでしか夜から逃れることは出来ない。

 

 居酒屋から帰宅して安堵する夜、風呂に浸かりお気に入りの歌を口ずさむ夜、楽しみにしていた映画をストリーミング再生する夜、これらは温度がある夜の形式で、文字を目で追うだけでも少しばかり心が踊る、というよりも跳ねる。問題なのはこの後に突然襲ってくる空虚であり、襲撃の理由に理屈など通用しない。いつだって絶望は理不尽なものだ。大体の悩み事は夜に完成することが多く、夜は思考が沈みがちになる。人間の心理的にも夜は思考がネガティブに向きやすい。日照時間が少ない国と自殺率の高さは比例関係にあるので、お日様という存在はなにより有り難い存在なのかもしれない。ちなみにツイッター上で午前4時台に最も多いツイートは「死ね」だそうです。皆さんまだまだお元気ですね。

 

 過ちを犯すのも圧倒的に夜が多い気がする。恋愛的で精神的で肉体的な部分の罪。人が1日のうちに選択できる回数は決まっている。それならば夜になると選択残数はほとんど残っていない状態であって、その状態の器に適量のアルコールでも注いだ時には正しい判断を行うことなど到底不可能だろう。そこに救いがあるとすれば、ある程度の時間が経つと、犯した罪や過ちも笑みが溢れる程度には良き思い出になっていたりする。あの時は痛々しかったなぁとか、いま思い返せばそこまで悪くなかったなぁとか。真夜中にそういったことを思い返す瞬間がふと訪れる。その思い出と共に眠るけれど、目覚めた時にはもういない。

 

 このままずっと続けばいいのにと思う夜がある。いつもと変わらないはずの夜が、些細なきっかけでかけがえのない夜へと変化することがある。ほんの微量のスパイスなのに人生が一転する夜がある。今日は家に帰りたくないという建前上の夜もある。夜は寂しい、寂しいと思うから会いたいと思える。会いたいと思えるから今日も言葉を紡いでいる。人には人の夜がある、一緒にお酒を呑むもよし、ジュースで乾杯もよし、映画を観ながら本編とは関係無い雑談を繰り広げるもよし、孤独を埋める為にセックスするもよし。夜の数だけ存在する物語を、きっとわたしは愛している。

 

 ここ数年で夜更かしが出来なくなった。日付けが変わる前には意識が飛んでいる。アルコールを摂取すると逆に全く眠れないようになった。そして、ひとりでお酒を飲んでも全く愉快にはなれない。真夜中に一人部屋の片隅で涙を流すくらいなら一緒にお喋りでもどうですか?お喋りが苦しいなら同じ空間にいるけれど各々が違うことをするとかどうですか?一緒にこの夜を共有してみませんか?手を取り互いの体温を感じてみませんか。

 

 

 今夜はいい夢が見れそうです。おやすみなさい。