[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.077 帰り道の記憶と目録

 

 ごきげんよう

 

 最近、休日の度に二日酔いでぶっ潰れている気がする。休日前夜にはテンションが上がってしまうのだろうか、「よし、飲みに行くか!」という気持ちになりやすい。それが一人だったり、友人とだったりするけれど、往々にして飲み過ぎる傾向にある。「仮に潰れたとしても、明日休みやし問題ないよな?」みたいな感じ。結果、ハイペースでグラスを空にしていく自分がいる。

 

 これが年に一度や二度ならまだしも、自分の場合は休日の度にそれを繰り返している。最近の二日酔いは、ゲロゲロに嘔吐するタイプではなくて、頭痛と倦怠感が長時間続くタイプのものだ。吐かない分幾らかマシだわと思えるけど、吐くタイプの二日酔いと違って帰り道の記憶が消失していることが多い。どうやって帰ったん、僕は何を発言してたんやろ、記憶を辿ろうとするのだけれど、如何せん辿る道自体が見当たらないから困ってしまう。しかし、不思議なことに相手に触れた時の温もりだけは思い出すことが出来る。きっとわたしは、体温に対する記憶力と執着が、人一倍強いのかもしれないな。

 

 吐くタイプの二日酔いは「もう二度と酒なんて飲まない」と思うぐらいに絶望感を残していく。一方、頭痛と倦怠感タイプは「これは時間との戦い、ゴロゴロしてれば過ぎ去るから」といった具合に軽く考えてしまいがちだ。自分の中で”学習しなくても問題ない事象”へと引き下げてしまうから、この軽さが何よりも厄介だと思う。ただ、時間が過ぎ去るのを待つ。とりあえずひたすらに寝る、二度寝三度寝を跨いだ上でもうこれ以上眠れないとなったらiPadで動画やら映画やら漫画やらを観賞する。横になりながら延々と画面を眺め続ける。トイレに行く以外は一切ベッドから動かない、というよりも動けないと言った方が正しい。そうこうしてる間に再び睡魔が押し寄せる。何の抵抗もなさず、ただ睡魔に従い眠りにつく。

 

 最近、二日酔いのリズムがなんとなく把握出来るようになってきて(慣れてきただけ)、平均して大体17時を過ぎたあたりから問題なく身体が動くようになる。動くようになると言っても何をする気にもなれない、けれども腹が食物を渇望している。そんな時には、痩せ細った体力を振り絞りマクドナルドへ出向く。テイクアウトをして、帰宅後は風呂に入り、ジャンクフードを獣のように食する。二日酔い明けの風呂と食事は何とも形容し難い満足感がある。これがちょっぴり癖になってしまっているから、いつまでも自罰的な酒の飲み方をしてしまうのかもしれない。

 

 そんな感じで、二日酔いの休日はほとんどを寝て過ごしている。満腹になった後は礼儀正しく睡魔が来訪する為、夜も日を跨ぐ前には寝てしまう。多分、7時間ほどしか活動していない。残り17時間はベッドの上で溶けてしまっている。最近は「勿体ないなぁ」とも思わなくなってきた。休日って、そうやってダラダラと過ごす為にあるんじゃないか。そう自分を肯定しようとするけれど、「いや、さすがに怠惰過ぎ」と誠実な突っ込みを入れる自分が少しずつ大きくなっている。

 

 ”BARで3杯ほど飲んで帰宅する”っていうのが綺麗な飲み方のあるべき姿なのだと勝手に思っている。それ故にわたしはとても醜い。阿保みたいに何十杯も飲んでしまうから、こんなことになってしまう。「馬鹿だなぁ」って自分で思いながらも、喉を降るアルコールの濁流が止まらない。金も、時間も、人も、何もかもが胸ポケットに空いた大きな穴からこぼれていく。”綺麗な人間になりたい”、なんて本当に思っているのだろうか。そうやって素直になれないまま、ただ老け込んでしまうのか。

 

醜いね、醜いね。

ただもう少しだけ、愛されたいだけなのにな

 

なんてね。