[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.092 全身鏡が割れる時に

 

 

 他人に偉そうにされることが嫌いだ。

 どうしてそんなにも偉そうに振る舞えるのだろうか。

 

 そう思ってしまうのはわたしだけではないと思うのです。

 

 気まぐれで、知人の飲食店を手伝うことがある。珈琲や軽食を提供するだけのホール業務なのだけど、数時間働くだけで本当に様々な人間がいるものだなと感心してしまう。

 

 機嫌良さそうに振る舞う人、ムスッとしている人、何故か怒っている人、時たま魅惑的な人。特に多く見られるのが、わたし(店員)に対して偉そうな物言いをする人だ。

 

 どうしてそこまで横柄な態度を示すことが出来るのだろうか。言うまでもなく、偉そうな態度で接されると、こちら側の心境としては胸糞が悪い。その場は笑顔で難なくやり過ごすが、そういう人間に対して振りまく笑顔が勿体ないし、そんなことに使われてしまう表情筋を不憫に思う。

 

 ご機嫌でいなさいとは言わない、せめてもう少し謙虚であれ。どれほどの権威や地位をお持ちなのかは知らないが、興味がない人間からすればどうだっていいことなのです。あなたはただの客、ただの人間、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 偉そうにされると、こちら側は丁寧な接客を放棄してしまう。優しくされると、丁寧な接客は勿論のこと、誉め言葉の一つでも贈りたくなる。「他人は自分を映す鏡」とはよく言ったものだけど、本当にその通りだと思う。良く接してもらえれば、こちらも良くしたいと思うし、その逆もまた然りである。

 

 だからこそ、店員だけではなく、世に存在する全ての人間に対して、偉そうに振る舞うべきではない。偉そうな態度に需要があるのは職業的に女王様ぐらいである。それ以外の人間は出来得る限り謙虚である方がいい。

 

 学生の頃に同じく飲食店でアルバイトをした経験から、そういった法則に気がついた。自分がお店の利用者である時には、店員さんに気持ちよくなってもらいたい。そういう思いから、注文を頼む時には「よろしくお願いします」、テーブルに料理が運ばれてきた時には「ありがとうございます」、店を出る時には「ごちそうさまでした」、その店が気に入れば「また来ます」。など感謝や感想を伝えるようにしている。

 

 そういうことを心掛けると、心做しか店員さんが優しくなっていくように感じる。時にはサービスでデザートをいただいたり、話しかけてもらえたり、次回お店に行ったときに覚えてくれていたりする。そんな時には利用者としてではなく、只の人間として嬉しく思う。

 

 それはどれも、横柄な態度を振りかざしていれば、決して起こり得なかったこと。

 

 これは店員さんの場合に限らず、全てのコミュニケーションに於いて言える事だと思う。ご機嫌で生きていれば、周囲にはご機嫌な人間が集まるだろうし、横柄に生きていれば、大抵の人間は一目散に逃げていく。

 

 店員にとって、目の前にいる”お客様”が本当の”御客様”であるとは限らない。少なからず偉そうにしている人間は”御客様”ではない。”御”も”様”もつける価値が無い、ただの”客”だ。すべてを胃に流し込み、金を落として足早に退店しろ。そのような思いをこっそり抱いていたりする。

 

 

 本当に偉い人は、偉そうに振る舞うことがない。

 逆に、物凄く謙虚だったりする。

 

 本当に強い人は、強そうに振る舞うことがない。

 真に強いからこそ、自分を大きく見せる必要がない。

 

 

 そういった真理を知ろうとしない人間が、

 私はとても嫌いです。