[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.093 アセトアルデヒド

 

 いつもの起床時間、アラームの音で目が覚めた。瞬時に大きく揺れる脳、頭痛、激しい倦怠感、吐き気、尋常でない程の性欲。

 

「二日酔い」

 

 目覚めた瞬間から、私は絶望した。

 

 

 昨日は、知り合いたちと居酒屋に行った。前々回で「時間が足りない」と書いたところなのに、飲みに行ってるじゃん。そんなことしてるから時間が消えていくんじゃんと思われてしまうかもしれない。

 

 違うじゃん、前もって予定が入っていたこと、夜を味わう良い機会だと思ったこと、久しぶりに楽しく酒が飲みたかったこと。それら全てが合わさった時には、最早歯止めなど存在しないということ。翌日仕事があるにも関わらず、メガハイボールの注文が鳴り止まないこと。それってシンプルに馬鹿なだけじゃん。

 

 帰り道、ヘパリーゼを買っていただき肝臓に流し込んだ。帰宅した時点では飲み過ぎた感覚は無く、単なるほろ酔い状態だった。

 

 ここまでは完璧な計画だった。夜の時点で二日酔いの気配などありはしない。絶対に大丈夫、明日もいつも通り起床して、珈琲を飲みながら文章を書いている、そんな自分の姿を容易に想像することができた。人間の脳味噌で想像出来ることは、大抵の場合実現することが可能なのだ。

 

 "絶対"などあり得なかった。全くもって"大丈夫"ではなかった。

 

 翌朝、激しい頭痛と倦怠感からベッドを抜け出すことが出来ない。「書きたい書きたい書きたい書け書くんだ早く動け書き始めろ早よ書いてくれ」それでも心の声は容赦なく呪言をぶつけてくる。

 

「二日酔い VS わたしaka.執筆意欲」

 

 延々と脳にジャブを決め込む二日酔いに対して、微力ながらに抵抗をする。身体にのし掛かる重力に逆らいながら、ゆるりゆるりとベッドを脱出した。そのままお湯を沸かし、珈琲を淹れた。マグカップ片手に一歩また一歩とデスクへ歩みを進める。深々と椅子に座り込み、PCを起動する。あとは空白を言葉で埋め尽くすだけ。

 

 一文字も入力することなく、わたしは力尽きた。

 

 二日酔いの華麗なるカウンターブローが脳天を揺らす。駄目だ、まともに座っていられない。そのままベッドへ傾れ込み、一時間ほど眠ってしまった。

 

 珈琲の香りで目が覚めた。少しばかり回復したような感じがしたけれど、気がつけば出社時間が迫っていた。普段なら容赦なく会社を休むところだが、訳あって今日は何としてでも出社する必要があった。

 

 結局、一口も飲まれること無く排水溝に流れていく茶色い液体を哀れに思う。わたしも共に流れてしまいたい。今ならば下水だって怖くない、二日酔いを引き連れて労働に勤しむよりかは幾分マシに思える。そんな馬鹿げたことを考えながら、シャワーを浴び身支度を済ませた。

 

 家を出る時点で嘔吐はしていない。吐きそうになったけれど、体内に留めることに成功した。吐くことさえなければ、何とか動くことができる。けれど、全身が小刻みに震えている。産まれたての子鹿ならぬ、もう充分に生きた成人。どうして私はこうやって馬鹿なことばかりを考え続けてしまうのだろうか。人間はどうしようもなくなった時に、もっとどうしようもない想像を脳に巡らせ、本当にどうしようもなくなった自分を受け容れる態勢を整えているのだろうか。

 

 何言ってんだろ、まだ酔ってんのか。

 

 電車を乗り継ぎ、何とか会社に到着した。固形物を食せる自信がこれっぽちもなかったので、inゼリーとグリーンスムージをコンビニで購入した。なのに物凄く腹が減る。この時点で一文字も文章をかけていない自分への落ち込みを隠す事が出来ない。「おはよう」と発した時に初めて声が枯れきっていることに気がついた。ただでさえ低い声音、もう何も聞き取ってもらえない。ディスプレイを見つめる、眼球を通して頭痛が加速していく。何もかもが最悪であった。

 

 もう終われ、頼むから早く終わってくれ、今日を終わらせてくれ。終わらないなら世界が終われ、自分以外の全てよ終われ。

 

 社内で誰よりも終わっている状態の人間が、滑稽な祈りを宙に浮かべている。それでも舞い込んでくる仕事、食べても満たされずに空腹、そして何故か性欲。あらゆる感情が入り乱れ、何処に進んでもまともな思考回路が見当たらない。

 

 もう駄目だ、考えたら負け。そもそも目覚めた瞬間から敗北していたじゃないか。今日は完全なる捨て試合。やるべきことは、明日の自分に託したい。

 

 気付けば、二日酔いは姿を晦ませていた。

 気付けば、定時を迎えていた。

 

 

 あと何度二日酔いになれば気が済むのだろう。学習能力が大きく欠落している。二日酔いになると、二日酔いになったことを書きたくなる。楽しんで書くことが出来る。一過性の苦しみと引き換えに、書く楽しみを獲得する。そんな歪み切ったご褒美システムが、少し癖になっているのかもしれないな。

 

 

 そんな訳ないだろ、早く眠りにつきなさい。