[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0176 厭世感

 

 必ずしもそうとは限らないけれど、少なくともわたしは、産まれてきたことが間違っている。

 

 その誤りを正すことが人生なのだとすれば、その道を正確に進める自身も体力も持ち合わせていない。もう疲れた、あぁ疲れたと嘆くことしか出来ない私を、空はいつまでも嘲笑っている。人に会いたくないという思いと、人の温もりを感じたいという思い、二つの願望が心臓を左右から引っ張っているみたいで、ずっと痛い。

 

 きっと呼吸が浅くなっているのだろう。首を吊っている自分自身がずっと視界の片隅で揺れている。少し立ち止まる必要が私にはあって、それでも眠ることしか私は出来なくて。笑いたい、笑って過ごしたい。本当に笑いたい?本当に心からそう思っている?そんな自問自答の果てには「無」が待ちわびていて、何度も繰り返される終着点に対してため息が漏れる。

 

 世界の中で壊れてしまうぐらいなら、自分の中で頽れている方が幾らかマシに思える。そうやって自分でも気づかない間に閉塞的で排他的な厭世家がひっそりと誕生する。何をそこまで憎んでいるの?零れた涙で花に水やりをすれば綺麗な花弁が見られるの?どうして、いつまでも生を放棄しながら生きているの?。何もわからない、頭の中で反響する声も、その問いの答えも、常に視界の中で揺れているわたしのことも。

 

 

 満を持してこの世を捨て去りたい。渦巻く頭の中も、自傷的な感情も、文字も言葉達も、幾つもの「私」自身を亡くしたい。暗いなって思うでしょう、ネガティブだなって思うでしょう、言ってるだけだと思っているでしょう。そんな戯言は嫌というほど浴びてきたから、もう何も言えないようにしてやりたい。もう何も聞こえないように、何も視えないように、私という世界を、消滅させられるように。いまはひたすらに、その下準備をするつもりで吸って吐いてを繰り返します。

 

 それが無意味でも構わない。意味付けすることが人生の正しさなのだとすれば、私はその正しさも世界も何もかもをぶっ壊してやりますから。