[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0185 戦場のメリークリスマス

 

 小説を読んでいる時にふと誰かのことを思い出す。その誰かのことを想いながら言葉を綴ることによってこの世界に少しだけ温もりが増すのならば、私はそのような人生や生活の上を歩みたいと願う。

 

 これをただの理想論と言われてしまえば否定は出来ないけれど、耳を塞ぐことは私にだって出来る。いつだってそうだった、おかしいと言われ続けてきた。何でこんなことやってるのかって、そんなこと自分でもわからない。気が付けば思いついた言葉をメモしているし、気が付けば机に向かっていて、気が付けばこの場所で踊っている。

 

 鬱々とした日々の中に見出した一つの逃げ道で、その些細な逃げ道のおかげで私は形を保てている。去年はたくさん書いたなぁって思うけれど、今年はもっとたくさん書いていたいと未来を想う。いっそのこと過去現在未来すべて吹き飛ばしてしまって、このままどこまでも書いていければいいな。そんな綺麗事たちをこれからも描き続けるつもりでいます。

 

 

 書く時には音楽を流している。元々無音アレルギー的なところがあって、書く時以外でも常に音楽で鼓膜を潤している。書く時には歌声が乗った曲だと集中出来ないから、これまではピアノクラシックなどの落ち着いた曲をランダム再生していたのだけれど、落ち着いた曲の中にも個人的に気に障る抑揚があり、時折自分の集中力が一瞬途切れることがある。その途切れた一瞬で頭の中に構成されていた何もかもがすっ飛んでしまうこともあって、困っていた。

 

 

 

 12月12日にYOUTUBEで公開された戦場のメリークリスマスを聴いて、自分の中で何かが変わった。演奏から感じられる静寂な魂の叫びに大きく心が揺さぶられた。本当に無意識なんだけど、翌日以降書く時は戦場のメリークリスマスをリピートするようになっていた。起承転結がしっかりしているにも関わらず、良い意味で刺激が無い。楽曲すべてが自分の波長と合っているような感覚があって、書く事だけに集中することが出来る。本当に不思議な感覚で、10年先も同じように戦場のメリークリスマスで空間を満たしながら文章を書いているような気持ちになる。

 

 出会いというのは唐突なもので、意図して求めている時には上手く出会えない場合が多い。「もういいや」と諦めてしまって、諦めたことすら忘れてしまった頃合いに、ヒョイと目の前に現れる。そして、求めていた過去の自分を思い出す。

 

 そんな素敵な出会いを、そして求めていた過去を、大切に抱きかかえながら、拙い足取りでこの先を歩いていけばいい。疲れてしまった時には壁に寄りかかって、一縷のメロディーを思い出す。これからも終わらない旋律を何度も繰り返し味わいたい。それだけで、心が少しだけ満たされるような気がするんだ。

 

 

 決して、バッド・エンドだけでは終わらせない。