[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0308 そんなに急いでどこに行くの

 

 人生の中で唯一目標としていること、それは急がないこと。

 

 このブログでは何度か書いているが、わたしはどうしても急ぐことが苦手なのだった。急ぐのが得意な人というのも珍しいかもしれないけど、とにかくわたしはできる限り急ぎたくない。「人生、のんびり歩いていきたい 人間だもの」と言わんばかりの願望を、常に強く抱いています。

 

 そんな感じでゆっくり生きていると、忙しない人からは嫌われていく。急ぎたくなる気持ち、とてもわかる。自分もかつてはそうだったし、ちょこまか動いて焦り倒して、今よりもずっと不安定だった。急げば急ぐほど呼吸は浅くなり、騒がしく次々と失敗する。失敗が増えれば増えるほど焦りが募り、交感神経が圧倒的優位になり、自律神経がぶっ壊れる。そうなった時には既に手遅れで、何をやっても上手くいかない。そんな状態が繰り返されれば、人生そのものが空回りする。

 

 ゆっくり生きていきたいから、急がない為の工夫や努力を思考する。急ぐ=時間に追われることだと思っているので、とにかく時間的余裕を生み出したかった。これはバリバリ仕事が出来る身近な人を見ていて気づいたんだけど、やりたいこと、緊急性が高いことは、とにかく前倒しして取り組んでいるのだった。前倒しに前倒しを重ねているから、何かトラブルがあった際にも余裕を失わずに対処できるし、それでいて周囲の目には要領が良く映る。焦らないから無駄な動きも発生しない。これは仕事だけでなく生活にも活かせるのでは? そんな具合で思考を重ねるうちに、段々とわたしは朝方になっていった。正確にいえば、脳の覚醒時間は生まれつき決まっているみたいなので、元々持っていた朝方の素質が勢いよく開花したようなイメージ。

 

 午前中のうちに、自分にとって重要なことが終わっていると、それだけで心に大きな余裕が出来る。あとはのんびりとしてるだけでいい。聞くところによると、夜型の人は、夜が深まるほどやる気と意欲が湧いてくるらしいので、大事なことは全部夜に取り組むのがいいのかもしれない。世間一般の社会構造が朝方をベースに動いているから、朝をゆっくり過ごすということは難しいかもしれないけど、朝にやらないことを決めるだけでも、少しはその苦しみが軽減されるんじゃないだろうか。

 

 なんとも理屈っぽくなってしまったけれど、それでも時折、急いでしまうことがあります。精神がボコボコに落ち込んでいる時に多くて、急ぐ焦るさらに落ち込むの三重苦。「うわ、何もかも上手くいかんわぁ」って時、大体急いでいる。動きが早くなってる、そりゃ呼吸も浅くなる。その度にゆっくり動くことの素晴らしさを再認識して、意識して、ただ嵐が過ぎ去るのをジッと待つ。何もせず、何も抵抗せず、何も良し悪しの判断をつけず。ただわたしは、ジッとしている。

 

 生きるなかで急がなくていいのならば、死に急ぐこともないのではないか。もう破滅的にならなくても、自分を壊さなくてもいいんじゃないか。いつかは訪れるその時を、ゆっくり待つことが出来るのならば、それが一つの幸せだったのかもしれないね。一人で待ち続けるにはあまりにも長すぎるから、誰かすこしだけ、ここでお話ししていきませんか?