[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0397 共に踊ろう

 

「わたしは家族を愛しています」と言う人がいたとして、果たしてそこで語られる愛とは一体なんだったのか。抽象的である、愛。文中に混ぜ込んでおけばなんとなくそれっぽくなる、愛。言葉にするだけで温かい感じがする、愛。人それぞれの想いや形があって、だからこそ愛情は素晴らしいものだろう。だからこそ、定義よりも、言葉よりも、行動で示すことが何よりも大事だと思うのです。愛してると言ってるだけじゃ、なんにもしていないのと同じなんです。最早そこに言葉は必要ない。寒そうにしていたら何も言わず暖房の温度をコッソリ上げる、ブランケットをかけてあげる、温かい飲み物をいれてあげる。愛しているから、ではある。でも、そういうこと考えるよりも先に自然と身体が動いてしまう。これこそが愛情に満ちている人。相手のことを大切に思っている人。辛そうな顔をしているとこちらまで辛くなる、楽しそうに笑っているとこちらまで愉快に踊り出す。そんな共感性、できるだけ笑っていてほしい、楽になってほしいと願うこと、その願いを実現させることが愛情の正体ではないかと考えています。三十歳を目前にして、愛されることよりも愛することを望むようになりました。僕は大切な誰かのために行動したい、生きていたいのです。これは心境の変化などではありません。よく考えてごらんなさい、自分の為だけに踊り続ける人生なんて、とても寂しくて虚しいじゃないですか。