[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0417 純心の正体

 

 可愛いがっていた、というよりも可愛いがられていた、年下の女の子がお勤めを満了された。正確に言えばわたしも既にその仕事をずっと昔に辞めていて、時たまヘルプで手伝う程度なのだけど。いつも優しく見守ってくれて、なんて出来た方なんだろうかと思っていた。その想いをこまめに伝えていて、伝えるたびに彼女は素直な笑顔を浮かべていた。わたしが仕事を手伝えていたのは、その子の優しさがあったからなのだと気づかされる。ありがとう。

 

 送別会。会場へ向かう前に仕事場へ立ち寄った。すると、両手で持ちきれないほどの紙袋の大群。全てお客様からの贈り物とのこと、なるほどこんなにも愛されていたのだね。そりゃあ愛されるよね、ただ深く頷き納得。たくさんの贈り物を見て、本当にこの子がいなくなってしまうことを実感。いや、この世から消えるわけではないのだけれど。その気になればまた会えるんだけど、「退職」という二文字が頭のなかで踊っている。なぜかこういう時、ちょっと寂しく感じるんですよね。それはやっぱり彼女が愛されているからで、わたしが彼女のことを好意的に思っているからで、この感情はなんていうんだろうか言葉にできない。愛とも恋とも悲しみとも違う、それら全ての中間地点にある灰色の感情。こういう時、わたしはウイスキーが飲みたくなる。

 

 会は特に大きな催しもなく、いつもの食事会という感じで幕を閉じた。とてもあっさりしていて、わたしもこんな感じで見送られたいなぁと思った。もう既に辞めているんだけど。高級店で飲むハイボールは、何だか陳腐で全く酔えなかった。

 

 帰り道、何となく歩きたい気分。あらま奇遇ね、共に歩きましょう。年下の女の子は車に乗り込みさようなら。わたしを含む三人で夜道を歩く。他愛もない話しをしながら、近況を報告し合いながら、夜風を感じながら。季節の移り変わりが感じられるようで、冬が死んだことを確信した。「あの子の愛される秘訣って何だと思う?」並んで歩く二人に聞いてみた。「素直なところ」「純粋さが失われていないところかなぁ」との返答。やっぱり人間は素直が一番なのだ。そもそも純粋って何なのだろうか。穢れていないこと、心が清潔なことであろうか。言葉としては存在しているけれど、それはただの概念であって定義化することは難しい。例えばまだ物心が浮ついたままの幼児はどこからどうみても純粋であるけれど、その辺に転がっている大人からは純粋の欠片も感じられない。大阪駅はたくさんの人がごった返していて、足を踏み入れる度に驚くのだけれど、その中からたった一人でも「純粋な人」を見つけ出すことは難しい。基本的に年齢を重ねるにつれて失われていくのか、純心よ。人間関係で悩んだり、お金を自由に扱えるようになると、それは霧のように消えてしまう。それが成長というものなのか、大人になるということなんだろうか。

 

 言われてみれば、彼女からは純粋を感じた。屈託の無い笑顔の正体は純心から成るものだったのかもしれない。「ぼくたちはもう失ってしまったよね」、渇いた笑いが夜空へと吸い込まれる。恐らく、もう取り戻せないのだろう。純粋を失わないためにはどうすればいいのか? たどり着いた結論は「何事も深く考えないこと」だった。それは良いことも悪いことも、あるがままに受け入れるということで、思考をあちこちに分散させないということである。だとすれば大人はいつまでも夜空の下、今日も都会に星は見えない。一人になった帰り道、「生き辛いです」とポツリこぼした年下の男の子が頭に浮かんだ。ウイスキーが飲みたい、とわたしは思った。