[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0422 花を見ること

 仕事終わり、気心の知れた間柄の三人で花見をした。ちょうど会社から歩いてすぐの場所に染井吉野が咲いている公園があり、各々が飲み食いしたいものを持ち寄った。コンビニで約1200円の買い物、アサヒスーパードライ、レモンチューハイ、おつまみ、駄菓子。ちょうど桜は満開で、まだ陽が出ている間は幾人かの親子がボール遊びをしていた。転がってきたボールを投げ返す、「すみませーん」「ありがとうございまーす」と母の声。そういえば、公園でゆっくり時間を過ごすことなんていつ振りだろうか。ベンチに腰掛けながらそんなことを思う。心地良い風が耳を撫でる。

 

 他愛もない話し、というのが的確な表現だったように感じる。家庭のこと、アートのこと、英語の言い回し、AIのこと。目的地点が定まらないままの緩やかな旅、そんな会話が温かかった。思うに、もっと現代人は、わたし達は、意味のないお話をした方がいい。今日あったことをありのままに伝える。それだけでも充分にコミュニケーションが育まれる。それなのに、やれテレビだ、やれスマホだ、テクノロジーに関わり合いを奪われているんじゃないか。もちろん、インターネットを上手く活用すれば出会いを増やすことはできるけれど、一番大切にする必要があったのは、現実間での繋がりなんじゃないだろうか。

 

 日々、雑談の重要性を痛感しています。大切なことは、あたかもどうでもいいことのように流れていく。どうでもいいような会話のなかに人生の分岐点が隠れていたりする。相手がなにを考えていて、どのようにして生活を送っているのか。やっぱりどうしても、言葉にしてもらわないと理解することは難しいのです。そして、雑談のなかにはたくさんの「個性」が散らばっている。出来事、言葉選び、思考、表情、身振り手振り、そうしてやっと相手のことが見えてくる。会話って、とっても温かい。主題があり、そのことについて話し合う議論や討論も大事だとは思うけれど、わたしはやっぱり雑談が好きです。仕事中に話す下らないこと、酒を飲みながら話す意味のわからないこと、二人きりで静かに話す最近のこと、これら全てを愛しています。そして最近は、自分が好ましく思っている人だけではなく、ちょっぴり苦手な人、可もなく不可もない人にも話しかけるようにしている。思い切って話しかけてみると、相手の知らない一面が垣間見えたりして楽しい。もちろん失敗することも多々あるけれど、嫌われてしまったらそれはそれで仕方がないね。それでもわたしは、この雑談を続けていきたいと考えています。

 

「たくさんのお金を使わなくても、こんなにも楽しめるんやな。人生」

 

 思ったことをそのまま言葉にすると、二人はなにそれと笑っていた。気が付けば二時間が経過していて、酒も空になりちょうど良い頃合い。桜を背にして撮ったセルフィーはどれもこれもブレていて、それでもそこに映る三人は良い笑顔を浮かべていた。最後まで笑い合いながら「じゃあね」「またね」と解散した。どれだけ高級なレストランよりも、わたしは花を見ることを選びたいと思った。帰り道、夜風が気持ちを優しく包む。