[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0426 日日是日常

 

 自分の直感に従い生きるようになって早一か月が過ぎた。たった三十日程度なのに、日常がてんこ盛りで驚きを隠せない。これまでの自分では考えられないほど、たくさんの人に会って、お話しして、人の温もりを再認識することができた。なんか皆、優しいんである。ずっと憎んでいた世界のなかに、こんなにもたくさんの光が残っていたこと、それにずっと気がつけなかったこと。自分だけがたった一人のように錯覚していて、いまとなっては情けない限りである。

 

 先日、友人と居酒屋で話していたときのこと。「恋愛感情って一体なんなん?」といったテーマをなぞって互いの持論を展開していた。「最近いよいよ愛情がわからん、最早人類愛に近い」といったわたしに対して、「わかる、人間として好きな気持ちと恋愛感情の境界線がなくなってきてる」と友人がポツリ言った。「なんやそれ、恐ろしいほど的確な言語化」である。そうなのだ、”愛しい”と感じる人がたくさんいる。優しくしたい、力になりたいと思える人が、同じ時間の中を生きているのだ。交際したり、結婚したり、愛の契りを交わすのは基本的に一人に限定されることが多いけれど(例外は多数有り)、わたしにとって大切な人たちは、みんな大切で必要な方たちだった。その大切な人たちと、恋愛感情を注げるたった一人との違いはどこにあるのだろう。セックスか?戸籍上で家族関係を結べることか?誰かに奪われたくないと思うことか?そういうことをブツブツ延々と考えていると、頭がおかしくなりそうになってくる。そういう感情の差異が、なにもわからんのだ。わたしは好きな人のことが、好き。それだけではいけないのだろうか、人の感情というやつは。

 

 友人の不意打ち一言に思考を奪われて酒が全然進まない。「でもさ、このまま一人で過ごすのは寂しいよね」なんて言い合いながら辿り着いた結論は、『恋愛とか結婚っていうのは、ある程度の助走距離、勢いが無ければ成立しない』であった。「あれ?」というささやかな疑問、我々のようにその疑問をどこまでもネガティブに深堀する人間には、それは非常に困難であるということ。「じゃあさ、もう私と結婚しようや」「え、絶対に嫌やねんけど」という場末の居酒屋あるあるみたいな地獄のブラックジョーク、「勢いが大事やん、もうこの勢いでいくしかない」とノリノリである酔っ払いとビールジョッキ一杯だけのほぼシラフ。これが両者ベロベロスだった場合、マジでなにかしらになってしまうのかしら。なんてことを浮ついた頭で考えながら、大切なひとたちの顔を思い浮かべてみた。

 

 やっぱり、と思う。この友人も含め、大切なひとにはみんな幸せになってほしいのだ。これってただの綺麗事なんだろうか、わたしは常々願ってしまうよ。何かあれば喜んで力にならせていただくけれど、”他人”にはどうしようもないことがほとんどで、基本的に願うことしかできないのだ。それでも、それでも尚、”他人”の壁をぶち破ってでも助けてあげたいと思えることが、恋愛感情というやつなのでしょうか。その延長上に、家族愛があるのでしょうか。誰に問う訳でもなく、自分で解決する訳でもない。思ったままのことを書いているだけで、きっと何にも意味のないこと。それでもね、無力な自分が嫌になることがあります。愛情は出し惜しみするんじゃなくて、然るべきタイミングで、大きく解き放たれるものだと思ってる。きっといまはその時じゃないだけ、ただそれだけ。この先も”その時”はやってこないかもしれないけど、それも一つの人生なのです。何言ってるんだろうね、本当にね。