[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0507 懐中時計

 

 自分自身に余裕を持つことができなければ、誰かに優しさを配ることは難しい。自分が満たされていない時には、誰かを深く見つめることは叶わない。余裕、この優美な概念を分解してみると、「時間」「金銭」「人間関係」の三つが姿を現す。

 

 余裕のある人生を歩みたいと思うけれど、思うようにお金を稼ぐこと、円滑な人間関係を築くこと、これらには自分自身でコントロールできない要素が多分にある。唯一、限りなくコントロールできるものが「時間」であるとわたしは考えていて、時間的余裕が他の要素にも影響を及ぼし潤いを与える。

 

 朝の身支度に時間をかけられないときには、何だかその日一日が慌ただしく過ぎ去るようで、ずっとバタバタと音がする。スッキリと早起き出来た時には、その時点で一日の中に大きな余裕が生まれる。仕事や友人関係でも同じ様に、少し早めに出社する、納期があれば前倒しで提出する、即時リアクションする、別れ際は終電前に。なんでも早めに行動すると、一日のなかに余白が生まれる。結果、割とのんびりしていても大丈夫な一日が完成する。

 

 個人的に、この”急がなくてもいい”という状態は最強のアドバンテージだと思っている。急がないから心が乱れない、だからこそ些細なミスが発生しにくい、トラブルにも冷静に対処できる。なんたる好循環、時間的余裕を基準として、心の富が形成されるんである。そして何よりも、余裕がある人は美しい。穏やかな態度は周囲を包み込み安心させる。余裕を持つことは、自分にとっても、世の中にとっても、徳を積むことだと思っている。

 

 これは自分が一人で暮らしているから言えることなのかもしれない。外的要因、家族や同居人と暮らしていると、そうも簡単にはいかないのかもしれない。友人は子育てをする中で、趣味である手芸を日々楽しんでいる。ネット上で作品をたくさん公開している。「ずっと赤ちゃんに付きっきりなのに、どうやって時間を作ってるの」と聞いてみたところ、朝4時に起きて、子が起きるまでの時間を趣味の時間にしているとのこと。その解答からはどこか心の余裕を感じた。早朝の数時間が、友人に余裕を与えている。素敵な人だとわたしは感じた。仮としての将来、わたしが誰かと暮らすことになったとしても、余裕を持つことの重要性を心に留めておきたいと思った。

 

 

 昨日は久々にドタバタの早朝、酷い睡眠不足からのやること詰め込み、心が大渋滞。止まらない汗、止まることを許されない速足、満員電車押し殺し。こんなものが毎日続くのなら、わたしはもう人生とやらを投げ出したいと思った。何だかんだで事が上手く収まった一日だったけれど、慌ただしいったらありゃしない。改めて時間的余裕の大切さを痛感しました。どんな時でも、急がずゆっくりのんびりと。穏やかで、優雅に、美しく。